人はみなシメールをサルトルが人はみな 平等である、誰も何の権利も持たない、という意味で、と語ったのと同じ意味で、「悪の華」は、心の持ちえる日頃見ないが存在しえる(=存在する)他のものごとを書いてみました、というものだろう。そういう意味で、「パリの憂愁」の「人はみなシメールを」は、むしろ、こちら側(今はまだ)のものだ。