肺がんの宣告以後、怯える日々が数日続いたが、かかりつけ医、地元総合病院の的確な指示のもと、長崎原爆病院にかかり、担当医の内視鏡手術で左肺下葉を摘出して1週間のうちに順調に恢復した。初期とは言え、先生方、看護スタッフの丁寧な患者対応と、リハビリ担当者の施術には頭が下がった。

 本当にありがたいことだったのだが…………。

 入院病棟から手術室に向かい、約3時間で的確な切除を施されて控え室に戻り、当日の夜を含めてその控え室で2泊した。施術後の痛みは特に無かったが、鎮痛剤など注入のチューブと針が脇腹や背中に装着してあり、そのことが全身に鈍痛とだるさを強いた。

 そこでの二泊目だったか、夜、男性の声がする。

「ここは病院か」

 看護師か入院患者か、「はあ、病院ですよ」と応じた。 

これだけの会話だった。

私は不審者が侵入している、と心配になった。しばらくナースコールを押すかどうか迷った末に、思い切って押した。

 「はい?」

 「誰か男性が侵入しているようですよ」

 「そうですか。わかりました」

 入院病棟に帰り、カーテンで仕切った3人部屋に入った。3台あるベッドのうち、一人は手術前の同居人だった。

 手術前の2泊時、その患者が夜、パソコンを打っていた。深夜もパシパシと音を立てて打つ、2、3分ごとに佳境に入ったように、ひときわ高い音を立てて、パーンと止めを指すように打つ、これを何度も繰り返す。

 パチ、パチ、パチ、パチ、パーン

 パチ、パチ、パチ、パチ、パーン

私は勝手に、ははーん、株か先物取引だな!と理解した。パーンは買いか売りに入ったのだろうなどと空想した。そして密かに〝頑張れよ〟と心中、エールを送ったのだった。

 パソコンのキーを打つ音は、私は苦にならない、この患者のように素早い打音はサラ、サラ、サラと聞こえ、いつか、私は寝入っていたのだ。

 しかし、術後は違う。同じように夜中、常夜灯の下で打音が響くと、気になって仕方がない。傷口の痛みが増すようにも思えるのだ。

 パチ、パチ、パチ、パチ、パーン

 パチ、パチ、パチ、パチ、パーン

看護師の巡回時には手を止める。足音が遠のくと、またパシン……パシン……とゆっくりと打音が始まり、そのうちにパチ、パチ、パチ、パーンと連続音になる。

 次の夜、またパチ、パチ、パチが始まった。今度は何故か、キーに細工をしたようで、打音に鈴の音が入る。

 シャラン、パチ、シャン、パチ、シャラーン

 シャラン、パチ、シャン、パチ、シャラーン

 深夜、先生が看護師と共に巡回に来た。もちろん打音は一時収まっている。点滴スタンドとともに移動を余儀なくされていた高齢患者の診察で、スタンドを移動させた際にシャラーンと音がした。アレッと私は思った。何かがスタンドに装着されているようだ。

 パソコンキーの打音のシャランはスタンドの移動時の音だったのか??などと迷ってしまった。そのうちに、このパソコン患者、何故が電気カミソリを使い出した。こんな夜中に非常識ではないか! 私はカーテンを開けてもの申した。

 朝、看護師詰め所に行き、〝事の次第〟を訴えたのだが、聞き入れてもらえたのかどうか。

 入院時に発症を警告された「せん妄」が出てしまったのか。私のとんちんかんな訴えに特に周辺に動きは無く、私は看護師の対応に、やはりせん妄だったかと反省しきりである。

 しかし一方で、いや、はっきり会話が聞こえた。パソコンを隠し持っていたはず―などと闇の中の出来事を思い浮かべたりしたのだが、退院後一月あまり、パソコンの患者はもちろん、看護師の対応も担当医の姿も、すべては幻、私は本当に肺がん手術をしたのか? などと、脇腹の手術痕をさすりながら幻覚症状の治療の必要を考えている。

 「記憶」は現実の文脈に即してどのようにも変容する。今や、手術の事実さえ曖昧になりそう。「記録」は、だからこそ、事の原点を抑えるために必要なのだ。

 脇腹の手術痕は確かな肺がん手術の「記録」なのである。