長崎県美術館で開催の「井川惺亮展」で先日、ご本人を迎えてのギャラリートークがありました。井川先生の制作の動機を知りたくて出かけたのですが、結論から言うと明確には理解できませんでした。
こう書くと誤解されると思いますが、理解できない理由は私の難聴(片耳)にあります。先生の講義が明瞭に聞き取れません。そのうえ加齢故の認知力の低下があるようです。このように書いて実は、私の障害に根ざす同じものが、先生の「制作動機」にある、と言いたかったのです。遠回しでスミマセン。
それは〝ハンディ〟ということです。
先生は「美術は中央」という権威の否定に立ち、西の果て長崎に来られて実力を発揮されました。東京では展示場の「いい」と評価される場所があります。先生によると、会場の真ん中を与えられると作品がよく見えるといいます。だが先生は、あえて消火器のある隅っこやトイレ近くの場所を選んで美的効果を試すと言われました。
長崎に来たことが東京では〝島流し〟と捉えられたのですが、教会など自ら選んで美的効果を求めて制作に取り組んだといい、「東京の美術シーン、美術の権威に対して否定的になった」ことで、制作動機にバイアスが掛かったと明かしました。
来崎して最初の個展が大浦海岸通りの「B倉庫」だったと言います。「天井がオレンジ、ヘンテコな倉庫でしたが、どんな素晴らしいギャラリーに比べてもB倉庫は私にとって、かけがえのない良い展示場だった。勇気づけられた」と振り返ります。制作に当たっては、海浜の波打つうねりの様や硝子の反射を生かし、ハンディなものを逆に活用したと言います。このハンディを生かすという立場が先生オリジナルの「アールブリュット」だったのだな、と思い至ったのでした。
ほかにトークの大切なテーマ、「色の線の集積で面ができ、線で面を破壊する」というようなマジカルな事柄を話されたように朧気ながら記憶にあります。
先生の持ち味を引き出したのは長崎の海と歴史的景観。具体的には海岸端に立つ「B倉庫」でした。B倉庫でのインスタレーションは自作と周辺の関係を考えさせたようです。次は「出島の電車」の触発に応えたいというような事柄を話されていたように記憶します。
さらに「東京の悩ましい権威主義」との認識を改めて口にされ、長崎の爆心400メートル上空に何かがあると言い、先生の倉庫、電車、出島、そして爆心との出会いが生み出す美術の盛花を期待させました。
聞き漏らし部分を省略し、確かな発言内容のみによる、井川先生のトークの紹介でした。
※ゴウゴウと14号台風が渦巻いています。耳を澄ませます。