JR長与駅前に続いて道ノ尾駅前にも原爆救援列車のモニュメントが設置され、きのうの長崎原爆の日、同駅前で平和祈念の集いを兼ねた除幕式が催されました。
設置されたのは被爆者を運んだ「C51形」蒸気機関車の後継車両にあたる「C57形」の車輪(直径90㌢)。長崎市から寄贈されたとのことです。町民の強い要望を受けて吉田町長が予算案などを議会に提案し実現しました。
説明によると「原爆救援列車は、原子爆弾投下直後に長与駅を出発し、道ノ尾駅を基点として運行され、爆心地から1・4キロほど離れた道ノ尾駅と浦上駅の中間にある照圓寺付近でこれ以上進むことが難しくなったため、そこで負傷者を収容し、諫早へ向かいました」とあります。また「駅舎前広場に臨時救護所が設けられるなど、被爆者の救援に大きな役割を果たしました」と平和遺構としての高い価値を強調しています。
式には被爆者代表をはじめ町立小・中学校の児童・生徒とその家族や教諭、町教育長、町長、町議会議員代表それにJR長崎駅副駅長ら約30人が出席。長崎原爆被爆者の会長与支部長の西村勇さんが「車輪のモニュメントを見ることでお互いに協力して平和を実現しましょう」と挨拶。篠崎桂子・長崎原爆資料館長も「原爆が使用される危機が高まっている。一人ひとりが平和への願いを強く」などと訴えていました。
原爆救援列車の記憶を後世にとどめる原爆被爆の証。蒸気機関車の車輪は、旧国鉄JRを発展の動力として街作りを進めてきた長与町らしいモニュメントです。
高田郷など直爆地を持つ長与町はこの日、令和4年度原爆受難者慰霊祭を町武道館裏にある皆前墓地前で開催しました。長与町殉国慰霊奉賛会、長崎原爆被爆者の会長与支部と共催。被爆者ら約30人が参列。町長、被爆者代表の挨拶があり、11時2分、爆心地の長崎市松山町方面に向かって黙祷。法妙寺の御上人の読経と参列者の焼香で受難者を慰霊し、平和への思いを新たにしました。(写真下は原爆受難者慰霊祭)