先に紹介した「ら・めえる」の感動の記録は駅ホームが重要なモチーフでしたが、「西九州文学」第48号の小説「駅のホームに居た」(水島瞳)も現代の駅ホームから物語が始まります。

 預かっていた幼い孫を、駅ホームから実家に向かう列車に乗せて帰した夫婦。寂しさにうちひさがれていたそのホームで、置き去りにされたらしい幼い少年を見つけます。気になり連れ帰る羽目になります。同じ年頃の孫を帰した寂しさから、妻のわがままに夫も引きずられた末の所業です。隣近所にどう言い訳するか。警察に届けないままなら犯罪になるーー。悩みながらも夫婦、少年の屈託のなさに孫のようなかわいらしさを覚えるのです。

 同居させているうちに、この幼い少年、懐いたように見えながらも、ミニカーのトラックをことのほか気に入り、盛んに走らせて遊んでいるのです。夫婦は少年のこの仕草に何かの信号を読み取ったのですが……。

 読んでいて夏樹静子のミステリーが思い出されました。親に子どもが駅ホームに置き去りにされるという、今時の出来事と言っていいエピソードです。夫婦の葛藤が読者によく届く筆致で、少年と父親の再会が映像のように浮かび上がり、読んでいてホロリとなってしまいました。

 しかし皆さん、よく書きますね。各作品の行間に創作の喜びがしのばれて、読者に思いがよく届いてきます。