桜井孝身編集・執筆
I DISCOVER
JESUS CURIST
IS A WOMAN
九州派 1956年 から1987年まで
のヒーローたちの記録および美
術としての「裁判パホーマンス」
櫂歌書房
まず表紙を見ると以上である。まるで「解説」。表紙絵は彼の主テーマであるパラダイス・シリーズ。
表紙を開くと見返しがあり、次に「地(けした)」が2ページある。そこにはー、
「日本人美術家が外国(パリ)で逮捕されたら『どうなるか?』それを美術と化した『裁判パホーマンス』美術の国際化の最前線からの報告と記録。」
次ページには、
「九州派→サンフランシスコ→万博粉砕→ふたたびサンフランシスコ・コンニャクコミューン→フランス・パリと英雄たちの記録と記事再録で綴るもう一つの最前衛の報告書。」
次に全12ページにわたり「はてしなく続き はてしなきことの本の序文」を綴る。
序文は、この書籍が①出版の動機と期待②九州派紹介③孝身美術論④不法滞在逮捕・勾留⑤裁判パフォーマンスーといった内容であることが語られ、その克明な記録・資料集であることを以下のように述べている。
まず①についてー。
「この疲れた時間の中では、どうでもよくなり、出来てよし、出来なくてよし」「いまだに出来上がる保証は何処にもない」「何故か協力者が出てくるのである。このことの意味は問うべきではないのか、問うべきなのか」などと出版挫折の予感と完成への期待に揺れる気持ちを吐露する。
「1987年2月20日からの事件は、あったもの、なかったもの、思い出されるもの、憎いもの、嬉しいもの、それ等をおしなべて同一の地平へ並べようとした」と、この告白本に込めた意図を簡略に述べる。「この本の特長とはと問われれば、読んでも、すぐ判るというものではなく、読み手が己れ自身に照らし、もう一度翻訳してみて、はじめて理解される面倒くさい無用の長物なのである。」とする。
続いて②「確かに、私は牢獄の中では、読み易い本を願っていた。そして、その中心は裁判パホーマンスもさることながら、九州派の方の比重が、とかく強かった」と、自らがリーダーである前衛美術家集団「九州派」の記録に紙幅を費やしたことをことわっている。
そして③〝孝身芸術〟の核心について触れる。
「私は母を尊敬している。例えばマザーコンプレックスと呼ばれようと、私は母を尊敬している。私にもし、芸術というものがあれば、それは女性への敬いであり、尊であり、母への物の産みの母なる海へのあこがれである。」この書のタイトルに記した「キリスト女性説」の背景を明かし、海外放浪から帰るのは九州・筑後川であり、「母なるフトコロである」と臆面もなく告白する。
さて、いよいよ④⑤。この書籍出版の目的である不法滞在勾留事件についての報告が遅ればせながら続く。
「一つの画廊しか(パリではの話)持たない私は、まず、その主人であるロマノフ先生に(支援を)お願いした。簡単にOKして下さった。(略)評論家のマダム・クロード・ドバード先生にお願いした。これもOKして下さった。」(略)「二日後である。江原先生から電話で『桜井さん、気落ちしているのではないか、おれがやるから心配すな。それが評論家の仕事だ』と言ってきた。」 この江原先生は、どうやら当時、ベルギー在住だったらしい。さらに「島本先生の加勢」が紹介され、「弁護士、マキシム夫婦との奇跡的な出会いを経験して、ものごとが動き始めた。」と取り組み、経過を報告する。
裁判パフォーマンスでは、以上のように、世界で活躍する文化人らの応援を組織したのだが、この報告書では「この4カ月間という、フランスの国家権力の中の裁判所での6月15日というクギリ、節、をどう迎えるか、考えつくことも、行動することも不可能であった」などと〝苦闘〟の様子を記録している。彼を知るある福岡の関係者は当時を振り返り、「当局は、フランスは人種のるつぼで芸術家はパリに居て役に立つ、として勾留から解放したと聞いている」と、起訴されずに解放されたと理解していた。この理解が意外に福岡に多いのはなぜか。結論にはこだわらず、経過こそがことの本質でもあるかのように。
以上、この聖典のような大部な書籍は、美術家・桜井孝身の勾留騒動の裁判パフォーマンス、あるいは美術化パフォーマンスの報告書であり、「九州派」論集でもある。が、当然ながら「孝身美術論集」といった性格が最も強く印象に残る。実はそのように感受するよう編集された「美術論集」だったのではないだろうか。
で、③が「母親は奇しくも、この4月、死んでしまった。象徴的絵を描いてすでに長いが、その人物の、或いは動物の大方が99パーセントまでが、母親であり女性であり娘であり姉であり妹であり、現在は愛する女性たちであり、それはいつしか天使の女性へと変貌していった」などとクドイほど書き込まれている。
結びは「1987年9月9日、朝、カマガ崎と呼ばれるホテルにて、桜井孝身。」
さて報告書は続いて、裁判パホーマンスのこの序文の背景、裏付けとなる諸資料や、国内外の画家、専門家ら文化人たちの激励の手紙、新聞、雑誌に掲載の論考を集めている。さらに章を改めて、九州派メンバーの仕事や活動を紹介と稿を進めている。これらは㊦で紹介したい。
▲九州派の画家、若き田部光子がパリの人々に当てた桜井支援の要請と激励の手紙