冷たい朝、孫の登校の同伴の折、孫が言う「雪降るかなあ」
天気予報では雪マークが付いていた。
「どうかな、今から氷点下になるかな。…授業中に雪降った時、教室でみんなどうしてる」
「誰かが必ず、ゆき! って言う」
「先生は」
「何も言わんで授業している」
「ひたすら板書してるんだ」
「うん」
大通りに出て、車に気を付けるんだよ、と声を掛けて私は引き返す。
山に向かって旧農道を上っていると、チラチラと小さな粉雪が落ちて来た。
おっ、雪だ。孫の笑顔がフッと浮かんだ。
そして、きのう久しぶりに読んだ「風の又三郎」の一節も思い出された。
宮沢賢治「風の又三郎」は、山の分教場に転校してきた3年生の三郎と山村の子供たちとの2週間に満たない夏の交流を描いた童話。東北地方には「風の三郎様」の風童神の言い伝えがあり、「マタ(又)」の言葉には妖怪の意味がある、と注釈にある。子供たちは三郎を、そんなあだ名「又三郎」と呼んだ。本人も何も言わずに受け入れ、仲良く山野や牧場で遊ぶ。ところが、なぜか又三郎の居るところ風が吹く。
又三郎が不思議な子として子供たちに一目置かれたのは、その出会いと容貌。
まだ登校時間前というのに、教室の一番前の机に一人座っていた。赤い頭髪、服はだぶだぶの上着に白い半ズボン、それに赤い革の半靴。外国人だな、と思った。
野遊びでは、煙草の葉をちぎり取った又三郎が専売局に叱られると囃し立てられ、川遊びでは大人たちのズルい発破漁が子供の目線で描かれる。
大団円に入り、野生馬を馴らす牧場で遊ぶ子供たち。馬を引いて競争していて転びそうになったり、風雨にさらされたりして大人たちを心配させた。
翌日、登校すると又三郎は居なかった。「又三郎は飛んでったがも知れない」
お父さんのモリブデンの鉱脈の仕事が中止になったため、また転校して行ったという。
どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも、吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
どっどど どどうど どどうど どどう
この名作童話「風の又三郎」。私が読んだのは実は、福岡県久留米市出身で1950年代後半に前衛美術家集団「九州派」を結成した桜井孝身(1928—2016)の表紙絵と挿絵による単行本である。
1988年11月に福岡市の出版社、櫂歌(とうか)書房から刊行された大活字本。A5判、255ページ。松田ニ三子氏(故人)の墨書きの丁寧な本文に、貴重な賢治の写真を掲載。このままでは、よく見る少年少女向けの日本の名作シリーズなのだが、桜井描く空飛ぶ馬の群れや噴火する火山連山、さらに読者を見返すいくつもの目が〝シュール〟な趣を醸し、一種異様なメルヘンを生み出している。
桜井孝身は富農の出。土地の頸木あるいは絆を断ち切れないままに福岡市の新聞社に働き、渡米、渡仏を繰り返して研鑽を積んだ経歴を持つ。九州派結成時は三池闘争全盛時でもあり、彼も、群れなす労働者の勢いに未来を遠望しただろう。既存の美術団体に反旗をひるがえして美術の変革に挑んでいる。その勢いの面影が一冊の本に押しとどめられていた。
この大活字本「又三郎」の挿絵。出版を手掛けた東社長に聞くと、紙に水彩で描いてもらったものだが、原画は手元には残っていないという。同氏の記憶では初版は200~300部。再版・復刻の希望をお持ちのようだったが…。