団塊の世代をリードした作家、大江健三郎は先に紹介したが、団塊ジュニア世代を書いて人気の吉本ばななの短編も読んでみた。平成8年6月発行の新潮文庫「とかげ」。全6編で編まれ、主題はいずれも「宿命と希望」とみた。
各作品には、重くて暗い秘密を抱えた若い男女が登場。幼少期の深刻な体験を明かし合える恋人との出会いから、生き続ける勇気を得るまでが、主人公の一人称の語りで綴られる。
表題作「とかげ」の彼女は幼少期、狂った男に母親が刺されて瀕死の状態になる現場を目撃。5歳のころのこと。トラウマからしばらくの間、盲目になったという。
主人公の彼自身も実は秘密を抱えていた。
母親は父と叔父の二人と関係を持ち、兄と結婚したのだが、生まれた彼は叔父の子だった。狂気にかられた叔父は母を刺し、灯油をかぶり自殺した。
そして短篇集の掉尾を飾る「大川端奇譚」。異常性愛に浸った青春から脱却し、会社社長の弟と結婚した女性の告白。彼女は生まれたばかりの頃、母親から川に落とされ、かろうじて命を取り留めた体験を持つ。両親の不和と不倫、家業の不振が、嬰児の彼女に瀕死の体験をさせている。
彼女の心は複雑だ。幼少時の出来事は、心の傷として残っているが、生還した事実からサバイバルな強い運命を付加してくれたとも彼女は理解する。だから、この川のある風景が彼女に安らぎを与えてくれもする。
「何も傷つかずに育ってくる人間はいない」と現実を語る彼女(著者)。「世の中は私があれこれ考えているから動いているのではなく、大きな渦巻の中に私もこの人も誰もかれもがいて、何も考えたり苦しんだりしなくても、ただどんどん流れては正しい位置に注ぎこまれていくのかもしれない」と物語を結ぶ。〝宿命という大河〟に身を任せることで安らぎを得る生き方が彷彿する。
1995年1月号の文芸誌「群像」に興味深い論考があった。大江健三郎「世界文学は日本文学たりうるか?」。
日本の近・現代文学史を、同時代の世界文学との関係の在り方から「三つのライン」に分類する。第一のラインは「世界からの孤立」としてお馴染みの谷崎や川端、三島を挙げ、第二のラインには「世界文学から学んだ者たち」として大岡昇平、安部公房を、そして第三として「村上春樹、吉本ばなな」ラインを設定した。「これは、世界全体のサブカルチャーが一つになった時代の、まことにティピカルな作家たち」と第三ラインを解説している。サブカルチャーが生んだ新しい時代の世界文学ということらしい。
平成元年3月発行の「文學界」芥川賞100回記念特別号には大江の記念講演が採録されている。その中で「消費時代の繁栄の中にあってアジア全域で歪みもひずみもあり、近い未来にお先真っ暗な予感もあるでしょう」とし、その時代認識を受けた文芸的表現が「吉本ばななさんのこまやかな若い市民感情を描いている短編にもある」などと村上龍、村上春樹と併せて指摘、早くから彼女の文学的資質に注目していた。
さて、団塊ジュニア世代の闘いだが、吉本はその瑞々しい感性で世界を捉えて内面化する。そして街頭ではなく内面を〝戦場〟としてリアルに描出することで闘いをリポートしているかに見える。生きようとする意志と、死を呼ぶ意思とのベクトルの、極微な心の針の揺れを表現する、次代の旗手にふさわしい闘いぶりといえよう。