私の住む長崎県・長与町の嬉里谷地区は小さな水郷の谷です。琴の尾岳に連なる岩山の麓。昔から清流の湧く谷として知られており、地区北側の各戸が自前の水場を作っています。

 今は町の水道が引かれていますが、庭や台所、植え込みや洗い場での洗濯、野菜・食器洗いには湧水を使用。常時流れる水の音が訪れた人々の心を潤しています。

 水の郷には今は計4軒が軒を連ねています。清水は、そのうちの最も流水の集まる中央付近の家の溜め池に集め、水流を抑えてパイプで各戸に送られ、炊事場や,庭の池に注いでいるのです。水勢はチロチロ流れる水道、ドボドボと音を立てて流れる水場など各戸違いますが、流水が途切れることはありません。

 ここ嬉里谷地区は平地から10~15㍍高い所。眼下に街並みが広がり、隣町・時津町も見透せます。そんな高台から湧き出る清水です。真下の擁壁沿いの溝に流れる水が高い音をたてて平地の住宅街の側溝に一気に下っていきます。

 かつて、長与の地酒「鶴乃港」の酒造用の水として重宝された歴史があります。元造り酒屋の酒店は長与川を挟んで河口方向に、酒造時のままの赤レンガの煙突を見せています。

 テレビで酒造の歴史が紹介された折、ディレクターの「水はどこから?」の問いに店主が「山から」と応じていたといいます。その山こそ、この嬉里谷なのです。この話を聞かせてくれた地元の女性。父親から聞いた話として、さらに面白い話を聞かせてくれました。

 女性によると、当時、酒造用の水は孟宗竹を割った樋に流して、ここから送っていたといいます。この高台から長与川まで直線で1キロを超えるでしょう。当時、眼下は広い田園地帯でした。清水の樋はあぜ道を通って河畔に至り、ここで一端溜めた後、船で対岸まで運んでいたのでしょうか。そんな事情を利用して、女性の高台の清水で洗濯水勢を抑えて配水する中継池

飲ん兵衛の兄が言ったらしい。

 「酒一升くれんと、樋に泥を流すぞ!」

 冗談とも本気とも取れる口調で、事の成り行きは分かりませんが、嬉里谷の清水が重宝されていた一端を明かすエピソードですね。

 地元の71歳の男性は「雨は降らなくても、湧き水は止まることはない」と言い、「家の中では、うまい湧水をお茶などの飲用に使い、風呂水だけは町水。庭での洗い物や水やり、家畜用では湧水を使っている」と話し、自前で設置した水場や築山を紹介。水の郷での暮らしをすっかり満喫しているようでした。