長崎にゆかりの深い作家、遠藤周作が没して25年の節目を迎えた。

 先日、長崎市内で彼の功績を振り返る集いがあった。

 女子高校生たちによる遠藤作「女の一生」の感動的な朗読劇の後、彼の〝弟子〟で文芸評論家・加藤宗哉氏が彼の文学の特徴や人柄を語る回顧談があった。

 加藤氏は話題の整理に時間が取れなかったようで、話しながら何度も残り時間を気にしていた。会場の聴衆、また舞台裏に向かい「まだ、いいな」 「うん、もう少し話せる」などと一人合点しながら話を進め、会場の笑いを誘った。そんなこんなで、口調はざっくばらん。ご本人、聴衆に謝りながらどうにか終了したのだが、私にはテーマがあいまいになったように思われた。

 で、話の内容がまったく頭に残っていなかった。激しい老人ボケに侵されている私の方の忘却なのか、落ち着きのない講話ゆえか。ところが、帰宅してメモをまとめてみると首尾一貫した内容である。「さすがだなあ」と感心した。

 加藤氏の慌て者、ボケぶり。あれは遠藤譲りの加藤氏のテレ隠し… 「雲谷斎狐狸庵山人」を演出していたのか!? 一番弟子の成せる技というわけである。

 記憶がスッカラカンとは言え、メモがある。暗い中での走り書きで、文字が薄れていたり重ね書きしたりで不明そのものだが…。

 そのメモによると、遠藤周作、脂の乗りきった58歳のときに禁煙に成功した。だが、肺を病んで入院。「心温かな病院運動」提唱したーといった話の内容がうかがわれる。

 そんな体験などが彼の文学を造る。その特徴はーー

 ①弱い者の立場から見る②心に染み入る話ができる天性の素質③固い話をおかしく聞かせる(狐狸庵のおどけ)ーなどと挙げた。

 中でも、狐狸庵のおどけについて取り上げ、「常に何かふざけて、おどける」彼だが、「片方で悲しみ、片方でおどける」が持ち味と指摘。さらに、事実ではなく真実をつかんで初めてものは書けることを教え、特徴の一つ「事実と真実」の概念を「生活と人生」に比定した。

 加藤氏は「(死を目の前にした遠藤は)最終的には自分の意思で死を〝選択〟した」として「ブーゲンビリアは愛と死に敏感に反応して揺れる」との遠藤のエッセーの一節を紹介し「何より清らかさはいい。実に清純さが出ている。文学の力なのでしょう」と話を閉じた。

 

 私の話はまだ終わらない。遠藤のユーモアについてである。

加藤氏が指摘するように、遠藤は「雲谷斎狐狸庵山人」の雅名でユーモアあふれるエッセーを多く書いている。この雅名。著作だけでなく、公の場での話の中でも、もっぱら「狐狸庵山人」あるいは「狐狸庵先生」を使用している。「雲谷斎」を単独で使った例にはあまり出くわさない。

 で、続く《下》では、私の手元にある遠藤の著作、また同世代作家たちの遠藤論などから彼の「雅名」にまつわるアレコレについて考えてみたい