〝知の巨人〟と評される長崎出身のジャーナリストで評論家、故立花隆さんの全貌を知る書「立花隆 長崎を語る」が長崎文献社から発売されました。

 原爆・アウシュヴィッツ・平和・信仰・学問、そして長崎と家族を語った彼の全容がコンパクトにまとめられた伝記的啓蒙書です。

 内容を目次でみると、田上富久・長崎市長の「発刊に寄せて」、片峰茂・前長崎大学長の「特別寄稿 立花隆さんのこと」を扉にして、「立花隆 長崎を語る」「家族史-ルーツを長崎に求める理由」で両親のこと、コルベ神父のこと、学生時代の反戦・反原爆への目覚めと活動、アウシュヴィッツ探訪などが関連書籍の紹介と併せて詳しく語られ、ゆかりの人々が彼の人となりを語っています。

 彼の平和・反原爆の活動の端緒は興味深い内容です。イギリスで始まった「オルダーマストン・マーチ」。哲学者・バートランド・ラッセルも呼び掛けたこの行進に参加したことからであり、戦時中から原爆作りに関わっていた物理学者・玉木英彦の影響の下での、かなり学究的な意味での出発であったことが、いかにも若き日の立花らしいスタートで、好ましく思われました。

 70年、80年代の私の若い時代、イデオロギーを背景に、あたかも各党派の勢力争いの一つの場のように原水禁運動が位置づけられ、参加者争奪合戦が繰り広げられていました。彼らの目には果たして本当に〝世界の平和〟が見えていたのでしょうか。その同じ時代、立花たちはコツコツと世界を舞台に学生らしい学究的意気込みで反原爆に取り組んでいたのです。この件を読んでいて翻って、今、注目の高校生平和大使の運動を思いました。若者たちには、イデオロギーや既存の活動の下に置かれない次代を担う幅広い運動形態を模索してほしいと望むばかりです。

 話が逸れました。立花は早くから被爆者、戦争体験者の体験告白に特別に注目していました。その収集・記録保存の整備も呼び掛けていたようです。秋月辰一郎医師と共に長崎医科大で被爆、その体で被爆者の救済にあたった医師の妻寿賀子さんとの交流の経過も記され、貴重な夫妻の被爆体験の証言ともなっているようです。

 長崎原爆資料館には膨大な資料が保存されています。資料を前にした彼は気が遠くなる思いでいたと言います。彼が提唱する世界のウォー・ミュージアム構想は戦争資料館のネットワーク化による整備と開放です。今、国内では戦争体験の証言・告白が残り少ない命の火、末期の火を燃やすように運動となっています。根っから国際的視野に立った活動を模索してきた立花の急逝が惜しまれてなりません。

 なぜ、原爆は落とされたのか。終戦の詔勅をよく読むとその理由が書かれていると立花は書いています。立花の伝記であり、優れたドキュメントの一書でもあります。

 同書は四六判並製・228頁、価格は1430円(税込み)。