渥美清演じるダメお兄ちゃんの〝大活劇〟「男はつらいよ フーテンの寅さん」。笑福亭鶴瓶演じるダメ弟を描いた映画「おとうと」。そして先日、観たばかりの往年のアイドル沢田研二扮するダメ親父の愛称ゴンを主人公にした新作「キネマの神様」。

 山田洋次監督はことほど左様に「ダメ男」に愛情を注ぎ、スクリーンに登場させています。いったい何故でしょう?

 

 寅さんファンの私は、光本幸子扮するマドンナ・冬子の第1作「男はつらいよ」(昭和44年8月封切)から、浅丘ルリ子4度目のマドンナ・リリー役の48作目「寅次郎 紅の花」、それに2019年のシリーズ50周年記念作「男はつらいよ お帰り寅さん」まで全作品をテレビ放映を含めて何度も観ているのですが、思うに山田監督の〝ダメ男愛〟は、彼らがいずれも嘘の無い真っ当な生き方を貫いた人々だからだと納得しています。

 

 戦後の混乱期を助け合いで乗り切った国民は、高度成長の進展とともに競争関係に置かれ〝共助〟付き合いを放棄、出世と金欲に血道をあげる亡者どもになりました。ダメお兄ちゃんやダメ弟たちは、そんな世間と人の変わりようについていけない正直者たちなのです。世間の方が共助の価値観を棄て、お兄ちゃんや弟を振り落としていったのではないでしょうか。

 

 映画「寅さん」大人気の頃は私の青春時代でした。私は寅さんにぞっこん惚れ込み、早速、フーテン気取りの物言いと剽軽な仕草を真似、キャンパスで親しい友人たちから〝寅さん〟のあだ名を拝命して、いい気になっていました。

 この私の恥多き青春時代、1970年~80年代は中流階級が多くを占めていました。

 だが今や、たそがれ迫る経済大国ニッポンに君臨するのは株主・地主・資産家ら上流階級です。しかし当時の彼らはというと、肩身を狭くして生きていたようです。

 

 古い友人に福岡県南部の山林地主の長男坊、ドラ息子がいました。彼は株をやっていました。老齢の父親には内緒の実益を兼ねた遊びのようでした。手に余る山林を元手に株を買い、私にも買うよう勧めるのです。儲けが先行していたのでしょうか。しかし株取引は当時、田舎ではギャンブル扱い。それこそ金銭に余裕のある者の危険で贅沢な遊びと見做され、友人自身、そう思っていたようです。

 

 そして下層階級はというと、多数の中流階級の助けを借りて共に生きていたようです。中流の者たちも下層の彼らに手を差し伸べる度量と余裕を持っていた。寅さんも、困ったときは叔父のだんご屋「とらや」に居候します。また妹さくらの家族の世話を受けながら乗り切っていました。寅さんが、寅屋隣の印刷工場の若者たちを「労働者諸君!」と呼び掛け、いじり飛ばして笑いで元気付ける姿は、社会状況をよく表わしていました。

 そんな中層・下層の平和な時代は終わり、今や中層は下層に呑み込まれ、下層階級が膨れ上がって上・下層二極化の様相です。寅さんの平和な時代は終焉を迎えたようです。

 ことほど左様に70~80年代当時、主流の中層階級の仲間に入れられ、助けられていた下層の人々。上層階級の間でさえもうまく泳いでいた下層のこの〝ダメ男たち〟も、時代の表舞台から消えていったのです。

 

 映画「キネマの神様」は、映画監督の夢破れギャンブル漬けのダメ親父が、撮影所時代の記憶を蘇らせることで、夫婦愛と生きる希望を再生させる物語です。

 ダメ親父の愚行を厳しく諫める娘(寺島しのぶ)ですが、夫の性分を知り尽くす妻(宮本信子)は強い言葉で咎めることができません。彼女が娘(永野芽郁)の頃、彼を慕い一緒になる希望を叶えたことが負い目になっています。それは彼に、彼女を恋していた脚本家志望の友人テラシン(野田洋次郎)を裏切らせての結婚だったのです。そんな夫を一方的に責める気にはなれません。

 ある日、ゴンはテラシンと出会います。今は店じまいの翳濃い映画館の主人(小林稔侍)でした。彼はゴンを快く受け入れて昔のフィルムを映写、古き良き活動屋時代を語り合います。〝キネマの神様〟が旧友二人の心に若い命を蘇らせ、危機にあるゴン夫婦は希望を再び取り戻します。

 

 「寅さん」ブームの時代は映画最盛期でもありました。そんな時代、映画撮影所には神様が宿っていたのでしょう。そこで私はふと思いました。神様は映画撮影所だけでなく、人の住むところ、どこにでもお宿りなされているのではと。この「キネマの神様」は観賞者に、そう想像を膨らませてくれるのではないでしょうか。

 家族の集う居間、仕事部屋、こどもたちの押入れ、衣装箱。さらに小さな植え込みや家庭菜園など…。思い出の詰まった気になる所すべてが、神様の居所のように私には思えてきました。思えなければ、みなさん、ぜひとも思ってみてください。まさに「記憶と想像力」こそ神からの授かり物であり、家族愛・夫婦愛再生の「神様」です。

 

 ダメ男たちの由来、フーテンの寅さん誕生についての詳細は、小学館「昭和の歴史(8) 占領と民主主義」がヒントを与えてくれました。奥付けに「1983年4月25日第1版第1刷発行」とある私にとっては貴重な書。ハイライトは、戦後占領時に始まった平和憲法制定をめぐるドキュメントでしょうか。戦後76回目の終戦記念日を迎えたばかりです。この件にちょっと触れておきます。

 当初、旧勢力による新憲法草案が出されたのですが、結局はマッカーサー元帥主導で勧められます。

 憲法問題調査委員会の第一次案を「旧憲法の手直しに過ぎない」として否定したGHQ民政局はマッカーサー総司令官に文書を示します。その内容は▽議院内閣制▽内閣不信任と総辞職か総選挙▽天皇の全行為は内閣の助言に基づく▽天皇の軍事大権のはく奪ーなどです。この文書の存在を、当時の日本政府はじめ国民は全く知らなかったといいます。

 マッカーサー元帥は、国体維持を計る日本の旧勢力に業を煮やし、総司令部での憲法起草を決意します。「天皇が国家元首」「自衛権も含む戦争の放棄」「封建制度の廃止」を必須条件として挙げた、と同書にはあります。

 このタイミングで幣原喜重郎首相が独自に「戦争放棄」の考えをマッカーサー元帥に提案します。これが、民主憲法制定にマッカーサーの腰を挙げさせたとして「戦争放棄の発意者は幣原」と本書は書いているのです。合法化された共産党を含む様々な勢力が、当時の社会状況を睨みながら憲法草案を提案する様が興味深く詳しく書き起こされ〝GHQお仕着せの憲法〟という先入観を払しょくしてくれる貴重な一書なのです。

 

 ここでのお話は、この書籍本体ではありません。ページに挟まれた「昭和の歴史」シリーズの「月報 8」の方です。同書籍の執筆者、神田文人氏と山田洋次監督との対談を掲載しています。満州引き揚げと終戦直後の二人の体験談が生々しく語られていますが、山田監督が笑いの原点、寅さんのモデルを語っているのが印象に残りました。

 さて、続きは後編でーー。

 

写真は、NHK制作班編「渥美清の伝言」(KTC中央出版)㊧と杉下元明著「男はつらいよ 推敲の謎」(新典社新書)