ミカン畑を宅地にした山裾に住んでいます。道々、季節のいろんな虫たちに出合います。
太陽がジリジリ照り付ける夏真っ盛りのある日、坂を上っていると足元にクマゼミがゆっくり歩いています。この時期、落下して仰向けに〝枯れ〟ていく蝉はよく見ますが、道を歩く蝉は珍しい。私はしばし眺めていました。
山側に向かっています。寿命なのでしょう、死に場所を求めている風に見えました。その、ひたすらな様子に、私はふと、緑陰の書、深沢七郎の「楢山節考」を思い出したのです。
信州の山深い村に伝わる姥捨て伝説を小説にした中編の名作です。
頭に浮かんだのは、こんな一節です。
「七十になれば楢山まいり」「楢山には神が住んでいる」ーー歩くクマゼミが、唱えながら登っているように妄想したのです。
人間社会は、というより人間は大いに変化したようですが、セミは変わっていません。姥捨て時代そのまま、今に生きています。
「楢山節考」は信州の「向こう村」と呼ぶ小さな村に住む七十になる誠実な老婆おりんと、働き者で優しい息子辰平を軸に孫たち家族と、姥捨ての恐怖に囚われた隣家の村人たちの命乞いの所業を織り交ぜ、人の生き死にの在り方、不思議を読者に問い掛けます。
御山参りを迎えたおりんは準備万端整えます。前日に執り行う祝いの白米の飯〝白萩様〟や振る舞い酒、ヤマメの干し物、御山で自身が座る筵の準備など済ませ、あとは辰平の決断を迫るのみです。夏は毒虫が出る、やはり冬がいい。そんな、おりんの覚悟の日々と、辰平のためらいの姿が親子の情愛と人間の業を象徴的に表します。
物語の背景には地元に伝わる民謡があり、文字を知らない時代、姥捨ての習俗が人と神との約束として受け継がれ、食糧事情の厳しい時代を生き抜く知恵として続けられていたことが分かります。歯のいいおりんが老婆を装うため、自ら石臼でガッ、ガッと歯を割る様は鬼気迫ります。
クライマックスは御山への〝道行〟。雪間近の酷寒の日に出て、御山に着いて降雪を迎えるのが最上の御山参り。険しい山道を老親おりんを背負って上る辰平。母親を棄てるという行いに何度もためらい足が鈍る。その度に背負子のおりんが「進め、進め」と手のひらをヒラヒラとさせます。二人の無言の、命を懸けた場面のやりとりが人の業と優しさ、自然の厳しさを諭しているようです。
岩陰に死に場所を求めたおりん。置き去りをためらう辰平に、帰れ帰れ、とやはり掌で言い聞かせます。嗚咽しながら一気に走り下る辰平。その鳴き顔にひらひらと雪が舞ってきます。理想的な御山参りになったのです。辰平は再びおりんの居る岩陰まで走り上ります。禁断の行いです。岩陰から覗き込むようにして、捨てたばかりのおりんに「雪が降った、雪が降った」と呼び掛けるのでした。「よかったなあ」と涙ながらに話し掛けるのです。
しかし、おりんは無言で動きもせずに、やはり掌で帰れと合図を繰り返すばかりです。未練を振り切るように走り下る嗚咽の辰平です。
私はこの小説が「不条理」を表現してはいるが、決して「不条理小説」ではないと気づきました。いえ、むしろ反「不条理小説」であり、太古の昔から人は自然物として生き、死の宿命を〝生き〟ているのだと気付かされたのです。死の向こうに待つ極楽浄土こそが人生の究極の目的なのでしょうか。姥捨てに従容として従う欲のないおりん親子は、自然の摂理に忠実であり、神に守られて幸せそのものです。
「欲」という目から見れば不条理小説でしょう。しかし、欲のない目で見ると人の一生を全うに終える歓びを描いた小説のように感じるのです。
ところで、カズオ・イシグロの新作「クララとお日さま」。終局は役目を終えたクララが廃棄場に立った場面です。この件に、私は姥捨て山に座る「楢山節考」のおりんが重なりました。両者とも〝廃棄場〟です。一方は山の神、片や太陽神が与えたそれぞれの任務をやりとげ、ともに喜びに包まれた終局です。月の文明と太陽の文明-この違いが物語を変えてはいますが、人間を描いた世界は同じように感じました。
イシグロは「楢山節考」、読んでいるのでしょうか。
参考図書は中央公論社刊「楢山節考」(昭和32年2月)。解説は伊藤整による文学と歌謡についての論考です。