我が町長崎県長与町の町議会では、ちょっとした「遊び心」ブームです。何といっても吉田町長の選挙政策「遊び心のある町(をつくる)」がそのまま町政の施策になっており、町民には、その実現が楽しみなスローガン(施策)です。

 私もこの政策の虜になった一人で、「遊び心のある町」の解釈に何度も考え込みました。今もそうです。「遊び心のある町」とは、この町に来れば「遊びが充たされる」という意味か、それとも「住めば遊び心が楽しめる」、はたまた「町の施策に遊び心を取り入れる」ということでしょうか。年金生活者の暇つぶし。あれこれと考え込んでしまいました。

 そんなある日、長崎市内の有名書店で無料配布の広告雑誌を手に入れて開いたところ、「『アソビごころ』がまちをつくる!『風景学』提唱者の『まちづくり』原論」などと謳った論考が目に入りました。藤原書店の広告雑誌「機」4月号です。東京工業大学名誉教授・中村良夫氏の自著「風土自治 内発的まちづくりとは何か」の梗概。全4ぺージですが難解なようです。

 活字を拾いながら読みましたが半分は理解できていません。でも「文化生成の『場』の結縁を『風土自治』と呼びましょう」「『風土自治』への思索は、第一に自然と人間の戯れる空間論、第二に人と人を繋ぐコミュニティの絆、そしてこの両軸を結びつけ、風土を育む揺りかごの提案」「『風土を育む揺りかご』は、他人事ではなく市民自らが変わることを求めます」などと記し、「本書が、国民的文化運動としての『まちづくり』のヒントになれば幸いです」と論考は結んでいます。

 前回の町議会では、八木議員が、それこそ楽しく心が弾むようにと、車のナンバープレートに町のキャラクターみっくんの漫画を入れては、などと呼び掛けました。

 今議会では、金子議員が大変に示唆に富む質問をしました。議員は「長与三彩窯跡の保存・活用について」「歴史的価値のあるものや場所の活用」「歴史的財産の保護や保全は行政と教育委員会などがともに協議を」などと質問しました。対して町側は「町内外に発信」「生涯学習に」「歴史を学ぶ機会を多く」などと正直、ステレオタイプな応答でした。

 議員は実は、質問を繰り返しながら〝遊び心〟の在りかにハッと気付いたようです。質問の終盤、ポツリと独り言のように言葉を発しました。「これこそ遊び心でしょう」と。私は思わず頷きました。私たちは、早くから遊び心を満足させる暮らしをしているのです。〝町が博物館〟の掛け声で歴史の町・長崎を観光地として生き返らせたのは10数年前でしょうか。

 わが町でもウオーキング、歴史散歩、生涯学習の舞踊や陶芸や絵画、文芸などなど、それぞれの専門家が陣頭指揮を執って町民を鼓舞しています。ただ満足度に不満があるように感じます。なぜでしょう。

 今回も三彩窯発掘事業は教育委員会の担当で、いわば「教育行政」です。どうして楽しくなるでしょう。教育です。図書館問題もそうですが、なぜ、教育者に任せるのでしょうか。

 私は町長の遊び心の出番だと思います。町長部局が乗り出し、あるいは教委と共同で、三彩発掘、新図書館問題に真剣に取り組んでほしい。何が何でも〝遊び心〟をしっかりと実現してほしいと思うからです。

 ベテラン吉岡議員がストレートに「行政に遊び心を導入することについて」と題して発言。「行政に必要なことは、若者や、一般住民の人たちに関心をもってもらうことが大事」として「流行語大賞」「漢字一文字大賞」の町民からの募集を提案。町長は回答で「ありがたい。もっと元気な町にと思って」と〝遊び心〟の発案理由を明かし、聖火リレーやウオークイベントを実施してきたと実績を披露。「移住したくなる、長く住みたくなる町に」など遊び心提案の背景も述べました。しかしこれらの実施の検証が必要なように思えます。〝遊び心の満足度〟は「幸福度」の重要な項目でしょうから。

 実は吉岡議員、一問目の質問で「観光に活かせ、長与三彩焼窯元跡地について」と町の考えを正していました。窯跡の復元事業が進む長与三彩について、「三彩の素晴らしさを全国にPRを」「観光地として整備を」などと、説得するように訥々と話し掛け、自分なりに三期に分けた開発計画を提案したのです。この「自分なりの三期分け」の提案、これこそ議員にとっての遊び心でしょう。さすがにベテランです。このユーモアの裏に、町の取り組みの鈍さの指摘が隠されているようで、議員のウイットに脱帽です。

 この議員に対して、執行部側の回答は、残念ながら遊び心の感じられない回答でした。当然と言えば当然でしょうが、担当者が変った意味がないと思うのです。町民・町政に対する姿勢に、担当者の生い立ちや育ちなどが反映することで人間味のある町になる。具体的な施策にも担当者の人柄が反映しておれば、親しみある行政が実現しよう。担当者が若すぎるのでしょうか、それとも町長の前に委縮しているのでしょうか。

 議会を傍聴して思うのは、とつとつとして噛みながら〝今やっていること〟の披露です。それは前任者からの引き継ぎを、現場の実績を、間違いなく述べようと苦労する姿。〝前任者の実績〟、加えて現場の報告です。あなたの手元にある書き物の「今」は、実は過去が併存したあなたの「今」、未来が目前にある「今」であるはずなのです。未来と過去が合流し、流れている「今」です。その今を担当者のあなたが実体験し、自分の言葉で感じ、解釈し、議場で発言する。決して引き継いだまま、言われるままの回答ではなく、あなた自身の言葉で回答してほしいのです。

 長くなりましたが続けます。

 実は、私が頭の隅に置いたまま、考え続けていた疑問を内村議員がほぼ解き明かしてくれました。議員は「行政にとって遊び心とは」と問い掛け、「行政の目的達成の手段、仕掛け」「行政を楽しく、ゆとりあるものにするために遊び心の(に基づいた)施策を展開」などと議員自らの解釈を披露。遊び心を、町政に関わる人々の心の内に秘めた〝姿勢〟などと指摘しました。そうです。心構えがあってこそ町政に反映できます。行政の担当者は、ゆとりを持って自分の言葉で自分の仕事を語ってほしい、と願うばかりです。慌てる必要はありません。

 中村氏の論考は、「ともかく街づくりと言えば、多くの経験と実例が頼りですが、それにしても大局を見定める羅針盤としての原論がなければ、それは漂流するでしょう」と結び、自著「風土自治」の一読を勧めています。