政治家の、それも政権党の議員や、その下に居る高級官僚たちの腐敗が広がる。収賄や違法な接待や献金。週刊誌によって明るみに出され、新聞・テレビが追いかけるという構図が定着したようだ。

 国会で陳謝して(本心かどうか?)ハイおしまい、という文脈が先に組まれて公にしているようで、私はフラストレーションがたまって心を病みそう。本来、暴き出し、追及の先頭に立つのは新聞や放送の記者たち。週刊誌記者には脱帽だ。何もかも時代とともに役割が変ったのだろう。

 記者会見は官房長官の「~と承知している」「捜査中で言及を避ける」の返答で、質問は店じまい。記者たちは、より深い記事を書くため、あるいは背景を探るための再質問の意欲は見せず、ひたすらパソコンを打っている。まるで原稿の穴埋めの言葉をもらうために質問しているようだ。会見を取り仕切る司会の内閣広報官の女性は総務省時代に違法接待を受けた事実が発覚したのだが、これからも彼女の差配で質問するのかどうか。嘗められたものだ。

 で、成り行きに注目して国会中継や記者会見のテレビ画面を見ている私(国民)はフラストレーションがたまるばかり。この追及不足は国会での野党の質問もあまり変わらない。みな行儀がよくなったなぁ…という印象。強いて言えば女性議員の方が迫力があり、質問が楽しみ。

 

 先ごろ、長崎市立図書館で米映画「シラノ・ド・ベルジュラック」の上映会があった。

 フェンシングの腕は敵なし、そのうえ名詩人であり騎士として秀でた人物だが、ただ異様に大きい鼻ゆえに負い目を抱えてしまい、恋に積極的になれない。

 そんな彼に、ある若い騎士がシラノと懇意にしている娘(従妹)を紹介してほしいと頼み込む。シラノは、自身の彼女への恋心を隠したまま若者に恋の手ほどきをしてやる。夜の出窓に姿を見せた彼女。若者に替わってシラノは恋心を込めた詩を読みあげた。彼女は詩心に魅せられてしまった。若者が吟じていると思ったまま…。

 滅法腕の立つ騎士であり正義漢であり、詩人であるシラノ。権威を背景にした乱暴者の騎士団との諍いが絶えず、虚飾にまみれた貴族を痛烈に批判する。こんな彼だから敵も多いが自慢の剣の腕前で乗り切ってきた。

 時代背景は17世紀中葉のフランス。映画の場面は、恋のやり取りに続いて西仏戦争が描かれる。国境守備の最前線に立つシラノ。スペイン軍の猛攻に耐える仏軍。意外に激しい戦闘場面が描かれる。

 映画はマイケル・ゴードン監督による1950年の制作。50年といえば6月には朝鮮戦争が勃発している。中国軍を背景に南進する北朝鮮軍に対して、韓国軍は米軍の支援を受けて防衛戦争を闘う。米軍は日本を足場に朝鮮半島に出撃。西仏戦争の描き方に、この米軍の朝鮮出兵の時代性が重なる。権威と虚飾を排し、愛と友情のために戦うーというマイケル・ゴードン監督の時代意識がうかがい知れる。

 さて、ただ今の日本国。ただただ恥ずかしい。今、テレビの国会ニュースで「私は飲み会に誘われて絶対に断りません」と広言したくだんの女性広報官が国会に招致されたところ映していた。もはや政治は安倍さんと菅さんとでズブズブの〝砂遊び〟にされてしまった。野党も、腰が引けて徹底的に攻めようとしない。自民・与党の自壊を待っているように見える。

 権威と虚飾を排し、詩をうたい上げる騎士団よ出でよ! 国民のために戦う議員団よ出でよ。