髙橋和巳の小説「捨子物語」(1968年3月5日初版)に猫を棄てる話が出て来る。主人公が父親に言われ子を孕んだ飼い猫を棄てる話。はて?どこかで聞いた、と思った人もいるだろう。

 「文芸春秋」2019年6月号に掲載された村上春樹の特別寄稿「猫を棄てるー父親について語るときに僕の語ること」である。春樹少年が父親と飼い猫を川に流して一目散に帰宅するのだが、その猫が先に戻っていたという不思議なエピソード。「自らのルーツを初めて綴った」ともタイトルに添え書きしているように、父親の奇特な存在ぶりを猫に托したようだ。

 髙橋の「捨子物語」では、父親の「捨ててきなさい」。「でも…」。母親の「捨ててこいと言えば、そのとおりにすればいいんです」の会話からこの件は始まる。「猫は首をあげてうえを見上げた。西日が振り仰いだ猫の背の毛波にたわむれて散った」「私の頭には奇怪にも、深夜、さすらいに疲れた猫がひそかに溝河へ入水する情景が浮かんだ」などと続く。

 以後約15ページにわたって母親や姉妹、尼僧が絡み、捨て猫騒動を軸に物語が展開、第二章を締め括っている。
 「捨子物語」より

 

 村上の捨て猫騒動は実録だが、高橋のこの捨て猫は夢の出来事、意識下の妄想がモノクロームで表現されたように感受できる。

 私の少年時代、うちの飼い猫ではないが、近所の人が川に猫を棄てる一部始終を目撃した記憶がある。川端から離れて次第に流れに乗って早まっていく2、3匹の子猫の段ボール。ミャー、ミャーの鳴き声が川沿いの道を追う私の耳に今でも残っている。母親に事の次第を訴え、子ども心に理不尽を知った思い出がある。

 高橋和巳の豊穣な意識下の記録、村上春樹の自己の深淵探索。二人の異形の作家の相似形を思う。