寒波一過の陽気。日も明るく、春近しを思わせる。

 早速、愛車でツーリング。長与から国道の歩道を隣町・時津町に向かって走る。写真は昨年12月6日、長崎市北部のバス停に白杖の男性が2人。いずれも援助者が付いていた。障碍者は身近な存在

 

 国道の比較的大きな交差点付近で、前方に白杖を使って道筋を確かめる制服の女子高生の姿を認めた。1年か下級生のようだ。そばに担当教師か母親か、助言しながら付いて歩き、保護する人がいる。

 私はその二人と、横断歩道を渡った所で出くわすかたちになった。女子高生は白杖を使って黄色い視覚障碍者誘導ブロックの位置を何度も確かめ、記憶しようとしているようだ。女性はその様子を少し離れた位置から、やはり、じっと眺めている。横断歩道を渡り切った私も、女子高生の確認動作が終わるまで前に進めず、しばらく見つめていた。彼女は笑顔だった。張り切っていたようだ。新学期の準備だろうか。

 しばらく後、時間が掛かるように思った私は「ごめんなさいね、通りますよ」と声を掛けてすり抜けた。その時、彼女はビクっと白杖の腕を引き、驚いた様子だった。笑顔が緊張した顔に変った。私は済まない気持ちになった。

 再びペダルを漕ぎだした私だったが、フッとある感情的な思いが心の中に湧いてきた。

〝あの女性は不親切だ。どうして彼女に自転車の存在を知らせなかったのか〟。自己弁護のどうしようもない思い…。

 だが待てよ。女性は、意図的に彼女に知らせなかったのではないか。目の不自由な大切な子が、どう健常者とコミュニケーションをとり、自ら助けを得るか。いや、試されたのは彼女ではない。健常者であるこの私の方ではなかったか。互いに、いかに、どんな声を掛けるか。彼女と健常者である私の共生の訓練をしていたのではないか。自分で行動を起こさず、援助者による彼女への「道を譲れ」との指示待ちの傲慢ー私が試されていたのだ。

 こんな心の揺れ動きに決着が着き、清々しい思いに包まれてホクホク温かな気持ちになった。すべての出来事には意味がある。「頑張ってね」女子高生と先生(母親)に心の中でエールを贈った。