読み進むにつれ、「芸術よ、あなたもか!」と静かなショックに襲われた。

 文学、芸術だけは戦時の〝暴走〟をしなやかに交わす歴史を経て来たと思っていた。有名作家たちは本心を胸底に隠して戦時を乗り切り、戦後、一気に活躍を始めた人たちであり主体的な文芸思想を失うことなく、時代の荒波を乗り越えた人々と思っていた。

 この私の〝先入観〟を、ドナルド・キーン著「日本人の戦争 作家の日記を読む」(文春文庫)は見事なまでに打ち砕いた。不勉強だった。

 著者は元米海軍情報士官で大戦時に通訳官を務め、戦後、日本文学や日本文化研究で知られる。本書は日本作家たちの日記を通じて大戦時の作家の思想的・精神的在りようを解明。易しい日本人論ともなっている。

 「昭和十六年の戦争勃発は、たしかに数多くの平凡で好戦的でない日本人の中にも熱い愛国心を呼び起こした」としたうえで、「しかし『アングロサクソン』の列強を破ることが、日本人が世界で最も素晴らしい人種であることを示す好機である、と伊藤(整)のように戦争に狂喜した日本人はごくわずかしかいない」などと、伊藤にはキーン自身も驚いている。

 書かれているのは、官憲の目を交わすため世を偽る〝見解〟ではなく、作家たちの真情の吐露なのである。これらを読むと、当時、文化人たちはこぞって戦争遂行者だったと認識を新たにせざるを得ない。 

 本書で紹介されている日記の筆者は、永井荷風、高見順、伊藤整、山田風太郎、内田百閒、さらに吉田健一、尾崎四郎、斎藤茂吉、高村光太郎、石川淳、平野謙、青野季吉ら多士済々。ある者は個人の覚え書きのように、ある者は公表を前提の日記文学として書く。大方の者がアングロサクソンに対するアジア人の戦いとして太平洋戦争開戦にもろ手を挙げて賛辞を送り、後には万世一系の天皇を奉じ大東亜共栄圏の実現に向け、アジア進出に叱咤激励の感情を吐露している。西欧からアジア諸国を解放するーという建前が彼ら国民を戦争に動員させている。

 伊藤整も高見順も山田風太郎も、さらに、よく知られるように尾崎四郎に至っては日本文学報告会の指導者の一人として国民を叱咤、侵略戦争遂行を煽っている。こんな時代、内田百閒のような弱々しい性格が「反戦」の目から見れば正義に見えるから不思議だ。彼らは皆、戦後から現代に至るまで人気作家として活躍していた人々。

 ただ一人、永井荷風の反骨ぶりが突出している。〝反骨〟という明確な姿勢ではなく自然体のようだ。生い立ち、生き方そのものが彼を権力や政治から間をおかせ、ただひたすら自己の人生を生きようと右往左往し、生還する。焼夷弾空襲の最中にも関わらず、私服警官や憲兵の目を盗みながら浅草に通う。まさに実存を生きる手本のようだ。

 本書は、終戦直後の作家たちの思惟の転換の有様も検証。進駐軍に対する作家個人としての信頼や憤り、彼らに対する日本人のさまざまな姿勢に、いちいち屈辱を覚えたり、喜びを見出したりする。山田風太郎、高見順の日記が戦後の人々の振る舞いを、精神的在りようも含めてよく伝えてくれており、キーンの文章に負うところが大である。

 きょう20日付「長崎新聞」文化面に「湯川秀樹と軍事研究」と題した小沼通二・慶応大名誉教授の論考が掲載されていた。ノーベル賞物理学者で世界的な反核・平和運動の指導者でもあった湯川秀樹の戦時の軍事研究について、彼の日記などを基に率直に論究。「湯川さんが戦争から学んだ一番大事なこと」として、

 「国のために国民がいるのではない。国とは、個人と世界とをつなぐ『中間的存在』の一つにすぎない…」

などと締めくくっている。

 〝非軍事〟を掲げる日本学術会議が政治の抑圧に抗する只ならぬ空気の中、国家権力と国民・文化人の関係の在り方を考えさせる名著「日本人の戦争」に巡り合った。書籍の価値は決して金銭の値ではなく、時代の要諦が醸し出す熟度の価値なのだと、つくづく思った。