アリストテレスやソクラテスといった古代ギリシャ哲学の賢人たちや、「人間は考える葦」のパスカル、「我思うゆえに我あり」のデカルトらは、なんとなく映画になりそうだが、現代哲学の牽引者たち、ヤスペルス、ハイデッガーといった哲学者らの日々を映画化するとなると、どう描くのだろうか。もしかして映画化済みかもしれないが、そうであれば観てみたい。

 ただ日々、考え、思うばかり。「人間とは、存在とは、現実とは…」と苦悩する姿を鏡で確認して「生きてる!」と自覚するのだろうか? 考えることを止めた途端に人間をやめた状態になる―どんな姿だろうか? グレゴール・ザムザのように虫に変身してしまうのかもしれない。

 いつもいつも考え、苦悩して日々を過ごす人。鈍な私が汗をかいて「生きてる!」と自覚するのと同じように、三度の食事も忘れるほど苦悩に生きがいを感じる人間たちだ。 

 それはもはや人間存在の真実を探求する日々が「生きがいの探求」の日々にすり替わり、探求を休止した途端に人間をやめる、あるいは死者同然の状態になる。そんな不思議な〝人種〟たち。これが哲学者。とりあえず、そんな妄想が浮んだ。

 それとも彼らは「物書き」が本職なのか。考えることは書くための準備作業であり、売れっ子小説家と同じように、書き始めてから苦悩が始まるのかもしれない。龍之介や漱石のように。

 彼らを正面から真面目に映画化しようとすればするほど、おそらく滑稽な存在に映り、ユーモアと恐怖の滲むスクリーンが現出するだろう。

 哲学者って、やっぱり変だ。それ以上に私がおかしくなっている!