薄暗い長い廊下に慣れた目を、明るいスポットライトに照らされた紅の帯が覚醒させ、一瞬ふらついた。紅色の幔幕様のものが網膜を覆い、刺し貫き、脳髄まで浸み込んできた。数秒間、展示室の溶暗に慣れるまで、ドアそばに立ちつくした。

 その部屋は、陳列テーブルを埋めたワインカップの紅色に染まっていた。混乱したような網膜に構わず、紅色を放つカップの群像をしばらく眺めた。4メートル四方の大テーブル。ズラリと百個を超える数である。陶器の季節の発表会場とは違った風景に、気持ちがざわついた。口から声なき声が洩れた。

 〝紅〟の群像に圧倒されてふら付いた頭が数秒後、やっと落ち着いた。壁際の棚やテーブルに並ぶ器各種を見る限り陶芸家の発表会だ。では、脳髄を覆い尽くすこの紅色の器あるいはオブジェの群像はなんだろう? 

  陶芸家、器公子の造る作品は一風変わっている。これまでも、吹けない土のオカリナやハーモニカ、弾けない土のギターを、陳列棚奥に控えめに発表してきた。今回は紅のワイン用カップの群像というわけか。

 脳髄に張り付いた紅色の幕を打ち払いたい衝動に駆られ、展示場の陰の一画の壁に寄り掛かった。

                      ◆◆◆◆◆

 紅色に圧倒されてオーッと小さな声を上げた私を、当の器公子は上目遣いに眺め、笑みを含ませて無言で私を迎えた。私は彼の握手に応えるように「参った」と一言添えたが、紅に支配された脳髄を宥めようと、彼に声を掛けたのだった。

 紅色のワインカップは「紅環韻(アカワイン)」と名付けられていた。鉱物の釉薬「鉄赤釉」を高温にさらした末の「紅」に見える。

 展示されたカップの群像は眺めると、単に一塊に並んではいない。4つのエリアに三角形に並べられている。個数に違いを設けることで各エリアごとに濃淡を出し、グラデーションを空間に醸し出していた。総体として「器公子の紅」を創り出したのだろう。

 彼は、顔半分を覆う髭を動かして「どうだい?」と私に問い掛けた。「積年の課題の一つだよ」と宣言するように言葉を吐き出した。

 私は彼の手のひらを見た。そして指を見た。これまでと変わらない男の太い指、それと意外にきれいな手のひらであった。まともな器が減った分、奇異な形のブロンズのような作品を展示するようになった。「この手がね、勝手に動くんだよ。手は俺から離れて器と意志が繋がっているようなんだ」

 何が彼をここまで急き立てるのか。確か70歳前後だったか。年相応、ゆるりと陶工の道を歩めばよいものを。彼と出会い、焼物の話をする関係になったのは、かれこれ30年前になる。アマチュアの日曜作家として、たまに新聞の文化欄に展覧会情報が載る程度だった。

 だが近年、彼の制作の営みに奇抜さが目立ち、世間から新たな目を向けられ、注目されるようになった。それが紅のワインカップの群像というわけか。

 会場の空気に慣れないままに居た私は、奥のフェードアウトに浮かぶ器公子の顔に目が移った。薄笑いを浮かべていた。私は得体のしれない不安感に襲われた。