天井に写る庭の洗濯物


 朝のウオーキングがてらに、孫を学童保育に送っています。時間にして15分余りの道のり。夏の今の時期、光が白くて明るく照らし、影も濃く、道々、影踏みをして戯れています。

 きょうは私が日傘を持ち出したので、バリエーションが広がりました。ちゃっかり私の影を日傘で消してしまえるのです。反則です。

 学童の在る保育園に着いた頃には、いい汗を二人、かいています。額、こめかみに噴き出す汗を私のタオルで拭き取ってやります。風呂上がりに私のタオルで拭こうとすると「臭い」と言って拒否する孫ですが、朝の影踏みの汗拭きでは拒否しません。じっと、任せてくれます。

 「影をなくした男」という短編小説がありました。ドイツの作家でしたか、シャミッソーという風変わりな名の作家のユーモア小説? たしか、不滅の命と引き換えに自分の影を悪魔に売り渡す話だったような…。影が無いことは存在がない、ということ。影は掛け替えのない生の証、との趣旨だったと記憶しています。 

 夏の朝の影はなぜこうも濃いいのでしょうか? 朝早いからでしょうか、細長くも感じます。

 影踏みは昔から日本の子供たちの遊びなんでしょうね。季節ごとに違う濃さ・長さの影。春夏秋冬、姿を変える友達として、一緒に戯れていたのでしょうか。幼時の一人遊びの友なのかもしれません。

 コロナ禍の夏、影踏みはソーシャル・ディスタンスも保てます。みなさん、子や孫と久しぶりにはしゃいでみてはいかがでしょう。