長崎県美術館にゴヤを見に行った。スペインの画家で版画家。1808年に始まった対仏独立戦争をモチーフにした銅版画集「戦争の惨禍」から33点を展示。
サーベルや銃で市民を虐殺する兵隊や、逆に市民が大挙して兵隊をつるし上げる場面など残虐なありさまを、エッチングやドライポイントなど緻密な線による濃淡で表現している。
リアルな風景画に違いはないが、これでもか、これでもかと反復するように見せられるうちに、リアリズムを超えて思索的な「観念」を呼び起こさせられてしまう。心の内に去来するのは、人間の醜さ・愚かさといったものから命の虚しさのようなもの。
ゴヤが伝えたかったのは、なにも戦争の悲惨さとか兵士の悪行とかに限らず、人間という生き物の不確かさのようなもの。具象画が生む哲学的な抽象概念の美ーー私にはゴヤがそんな風に見えたのだが、どうだろうか。
ゴヤを考えていてピカソの「ゲルニカ」を思った。
以前に、友人の画家から示唆されたことだがー。
「ゲルニカ」はスペイン内戦でフランコ軍に虐殺される市民を描いた具象画であり、制作の経緯から「反戦のシンボル」とされる。
だが、デフォルメして描かれた画面からは一見、戦争の悲惨さが伝わってこない。ゴヤのようなリアルさはなく、憤怒や嫌悪の感情を誘発されないのだ。
「ゲルニカ」が伝えるのは反戦の〝象徴的〟美であり、想起させるのは意外にも画面作りを楽しむピカソの面影。それほどピカソらしい画面なのだ。
リアルでありながら抽象概念の美を生み出すゴヤ。リアルを崩して線や形でひたすら絵画性を追求するピカソ。二人の〝反戦の画家〟は、実は〝人間追究の画家〟なのではないか。
展示は9月27日まで、常設展示室。
今日8月6日はヒロシマの日、朝の散歩途中、町がサイレン鳴奏をした。黙とう。