「爆心地に声紋アート」。長崎新聞1面コンテンツの惹句に惹かれてページをめくると、長崎市松山町の爆心地公園にずらりと並んだ白線の写真。声紋を模したという白線は折れ線グラフ状の長い帯という。これは必見と、早速、激しい雨の中、出掛かけた。

 公園は、ヒマラヤスギと桜の並木が周囲に控え、黒御影石の原爆落下中心碑が、暗い緑の雑木林に呑み込まれ、影のように立っていた。

 そんな環境の中、声紋をイメージしたという白線の帯が公園全体を圧倒していた。

 米粉製という白線は、約30メートルが50本と、約15メートルが25本。各約50センチ間隔で引かれている。一見、学校の運動場などで馴染み深いラインカーで引いた線のようだが、よく見ると確かに、線は1本10センチ前後の振り幅の折れ線の長い帯。これが何本も広場一帯を縦断して見る者を圧倒しているのだ。よくも、これほど…、「前衛芸術はこだわりと根気だな」と納得。しばし佇み、溜息を洩らした。

 前衛、抽象などというと理解困難な美術のイメージだが、要はどう感じたか、見る側の感受性如何にかかっている。これがコンセプチュアル・アートという芸術か。リピート・反復の表現に、被爆者の苦しみの持続、平和希求の叫び。さらには死者と私たちとのたゆまぬ〝共鳴〟が感じられた。

 記事によると、この作品は美術家・竹田信平さんのアートプロジェクト「声紋源場」の一環。専用アプリにより、声紋の節々に点在させたコードをスマホで読み取ることで、実際に音声で被爆者の証言が聞ける仕組み。サウンド・アートともいえる。証言はプロジェクトHPからも聞くことが出来るという。

 長崎被災協の依頼で竹田さんが制作した。長崎市の助成事業。精魂込めた大作だが、降り続く雨により、あちこち白い帯が流され、説明板も消えていた。時間と環境と美術の関係性についても考えさせられた。これも前衛美術の役割であり、作品の在り方なのだろう。