総合文芸誌「ら・めえる」の5月1日発行80号に、同誌編集長で近代文学研究者でもある新名規明さんが論考「『梅ケ枝餅』発祥の地はどこか?」を書かれている。

 新名さんは長崎市の梅香崎天満宮(大徳寺)を参拝し、今も「梅ケ枝焼き餅」を提供している茶屋「菊水」に取材。同神社の茶屋の歴史を遡る。さらに太宰府天満宮を訪れ、参道に並ぶ梅ケ枝餅屋や現地の図書館を渉猟、関係資料を求めるなど、まさに体力・筆力を駆使した随筆風論考となっている。

 参考資料に大田南畝「小春紀行」をはじめ、歌川龍平「長崎の横顔」、長崎文献社刊「長崎事典」、それに明治・大正の神社境内を撮った古写真など。 

 結論から言うと「梅ケ枝餅」発祥の地について、新名さんは「江戸時代から(味噌餡や焼き味噌付き)携帯食として売られていた事実から本場は太宰府だろう」としつつも、〝餡入り〟の発祥については「長崎・梅香崎神社」とする。甘い餡の元となった砂糖の由来も「長崎」としている。だが唐人貿易由来の砂糖とし、オランダ貿易「出島」発には触れていない。「薩摩が琉球から砂糖を取り寄せ、船のバラストとして長崎に持ってきた。それが長崎街道を通って博多にきたのである」と由来を唐人貿易に求め、「シュガーロード」の言葉こそ使っていないが想定はされているようだ。これらの根拠は主に「小春紀行」の記述によっている。

                         ◇

 前回の「餡入り梅ケ枝餅・誕生」のプロローグ部分に登場する梅ケ枝焼き餅持参の男性こそ、実は新名編集長でした。

 私は、文章の〝つかみ〟の件(くだり)であり、お名前を明示するほどの意味合いはないと判断、あえて三人称「男性」としたのでした。

 しかし、梅ケ枝餅について他にない本格的な論考を、長崎の文化雑誌にまとめ上げられた新名さんです。伏せる必要などどこにあるでしょう。

 一方、私の文章について、取るに足らない雑文ですが、ただシュガーロードに関する主張は必要と思い、記事を生かしたのでした。

 新名さん、浅はかな意図を御汲み取りいただき、ご了承くださいますよう、お願いします。