長崎新聞30日付1面に佐世保空襲を振り返る連載企画「記憶をつなぐ 佐世保空襲編」の第1回が掲載された。同記事と前日付1面コラム「水や空」によると、佐世保空襲は1945年6月28日の雨の夜、深夜から未明にかけ、米軍B29爆撃機の編隊が焼夷弾で無差別攻撃、1242人が犠牲となった。

 連載では、犠牲者遺族会の会長に寄り添い、空襲の実態と慰霊の活動を振り返るようだ。力の入った書きっぷりにテーマへの記者らの思い入れが伺える。

 加えて、記事を読んでいて「おや!」と思った箇所があった。それが、なぜか読み流せない、心に引っ掛かる文言であり、指摘しておきたく思った次第。「誰」という言葉である。

 その一つめ、遺族会会長が墓碑銘を見上げて発した言葉①「こんなひどい目に遭うとは誰も思っていなかった」、二つ目に、犠牲となった親族を荼毘に付した祖父が吐いた言葉②「誰がこんなばかな戦争を始めたんだ」、そして三つ目、文末③「誰かに何かを語りかけるようにして、また碑を見つめた」の件である。

 いずれにも「誰」という言葉が使われている。文脈からとても重要な要素と感受した。

 ①は現在時制であり、当時は「誰も思っていなかった」ということ。各地の大空襲の悲惨な被害は簡単には知り得なかったのだろうか。この辺り、詳しく知りたいと思う。そして②、この祖父の言葉は重大だ。天皇陛下の命令の下、臣民がそれぞれの立場で戦いに従事したはずだが、祖父は「ばかな戦争」と突き放しており、「誰が」に天皇や軍部の軍人たちを指していると思われる。とすれば、まさに当時の現実を冷静に捉えた〝危険思想〟であり不敬罪だ。そして③、この「誰」は会長が碑を見つめての事から、今、記憶に浮かび上がる人々、と推測できるのだが…。

 力のこもったドキュメントについつい思いが入り過ぎ、なんだかあら捜しのようになった。

 しかし、この「誰」という言葉は、その使い方次第で登場人物や記者自身の「当事者意識」の深浅を浮き彫りにし、読者への「文意」の訴求力を左右するのではないか。そんなことを思った。「誰」をもう一歩踏み込んで追求したい。大見出しにあるように、まさに「『名前』を取り戻す」である。

 担当記者の皆さんの奮闘を頼もしく思い、連載を楽しみにしている。