長崎大核兵器廃絶研究センター(RECNA)主催の「NPT再検討会議へ向けた課題」と題したシンポジウムを傍聴した。(6月27日、長崎原爆資料館)
核拡散防止条約(NPT)の再検討会議が延期されて以後、なんだか緊張感が途切れてしまい落ち着かない日々が続いていた。このシンポで、課題を自分なりに明確できるのではないか。日々の暮らしを律する〝支柱〟が私の貧弱な背中にも入るのではないか、との思いで傍聴に出かけた。
同研究センターの広瀬訓・副センター長と中村桂子准教授、それにナガサキユース代表団の女子学生3人が登壇。再検討会議について、25年の同条約の果たした役割など、報告があったが、展望が開ける論議にはならない。インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮など新たに保有国は増え続けて来たという歴史と現状に、どうしても敗北的な弱気の虫が気持ちの中をはい回ってしまう。
一方で、記憶に新しい核兵器禁止条約の国連採択や、わが国大手金融機関による融資対象からの核兵器製造企業排除など、前進の芽はある。ヒマワリなど花壇の花々は、芽を出し、ある段階まで育つと、後は自身で大きくなる。この芽を生かし育て、増やす努力が求められているのだろう。3人の学生は「核問題は難しい印象がある」「環境問題から入れないだろうか」、「企業の非核姿勢を求めたい」などと、自分なりの秘めた決意を披歴していた。
核問題を語る時、核保有国、非核保有国、核の傘の下の国の三者に分けられるが、「核の傘の国」なんてあるのだろうか。広瀬教授もサラリと疑問らしい発言をされたが、我が日本の有り様を振り返ると米国の「不沈空母」であって〝核保有国・米国の基地〟そのもの。 日本は「核保有国」に入れるべきだろう。
もう1点、学生たちの発言に戸惑いが伺われた。その原因は、核を巡る世界・日本の現状がやはり想像を超え、認識不能になっているのではないか。専門の先生方が現状把握・認識できるのは当然だが、感情を込めて友人・知人を説得するだけの論理性を彼女たちに求めるのは無理なように見えた。
そして、大きな疑問。檀上からも会場からも「沖縄」が一言も出てこなかった。1970年の沖縄返還では、「核付き」か否かを巡って国を挙げて論議したのだが…。
つい先日には先の大戦での慰霊の日を迎えて大きなニュースになっていた沖縄。1945年、3カ月にわたる日本唯一の地上戦で約20万人の犠牲者を出した。若者たちには同じ国の中で、今現在、古里が米軍基地につぶされている現実を身を持って知ってほしい。環境破壊は沖縄の直面する現実なのだ。壇上の学生たちが、自信無さそうに感じられたのは、〝闘い〟の中に身を投じた体験がないからだろう。理論と体験と両面で鍛え上げ、導いてほしい。
年寄りの冷や水、繰り言ばかりになった。展望は、というと見えていない。ひょっとして私の世代の展望と若い次世代の展望そのものが違うのでは? なんて思ってしまう。
「NPT」という条約の性格からか、明確には先は見えてこないようだ。ここはじっくりと腰を据え、各国とつながりを維持していくことが必要なのだろうか。小さいけれど力合わせて