小学3年生になった孫が「きょうのカンちゃん、見せて」と長崎新聞を覗き込んできた。
しばらく眺めて、私の顔を見てニッと笑った。
孫が新聞の四コマ漫画に関心を持っているとは…。
「カンちゃん」を私は見ない。連載開始当初は何日か見はしたが、いつの間にか、見なくなった。新聞は、何か為になること、意味のあることを教えてくれるものと、思っている。漫画とはいえニュースなのだ。そんな先入観に凝り固まった大人の頭に猫の「カンちゃん」はあまりにも意味がない。それを、孫は見ていた。面白いと言う。
このごろ、うちの飼い猫にご執心である。で、カンちゃんに関心がいったのか?
大人たちは、世の中の物事すべてに意味付けをする。それで安心感が保てるからだろう。
実は、世の中の諸々の出来事には意味はないのではないか? 原因があって結果がある。人間社会、どこでも騒動が起こったり、安らいだりするーー。ジャングルの、草原の猛獣世界でも同じだ。人間はそこに、勝手に意味付けしているだけではないか。
世間の常識に、まだ染まり切らず凝り固まっていない孫の頭では『無意味』こそ自然な状態、意味のある世界なのだ。無意味を演じる猫のカンちゃん。孫に、何やら真実らしき世界を提供してくれている。(写真は長崎新聞)