小学3年生になったばかりの孫と久しぶりに囲碁をした。小学1年のころ、無理に誘い込んで陣地取合戦のように石を並べ合っていたが、すぐに飽きて、いちゃもんを付け、石を投げていた。そして、いつの間にか碁盤を出すこともなくなっていた。

 それが、コロナ禍で休校になり「じいじ、あそぼ、あそぼ」と声を掛けられ、キャッチボール、自転車練習、読み聞かせと、一緒に行動する機会が格段に増えた。ある日、その時間つぶしの流れで、ふと思い出し「久しぶりに囲碁をしよう」と誘うと、すんなり「うん、いいよ」。以前あれほど、「いやだ」と敬遠していたのだが。

 目を作っていく仕組みはよく心得ていた。とんとんと石を置いていく。たまに「じいが、ここに打つと、ここら辺全部じいじの陣地になるぞ」とアドバイスをすると、さっと石を置き換える。これ以外、目を作ったり、私の石を取ったり、陣地を広げたりする石の置き場は、何か考えがあるのか自分で決めて打っていく。私を長考させる場面も。以前はこんなことはなかった。

「友達と囲碁をやっているのか?」と問うと、「しない」と言う。

そうか、やっと囲碁の面白みを理解できる年齢になったのだな、と納得。

 少年棋士が話題になるが、優れた師がいてこそだろう。一般的にはやはり〝囲碁年齢〟というものがあるのだろう。

 で、試合は私の負けだった。まさかの〝成長ぶり〟に翻弄されました。また、やろうぜ。