きのう諌早市、城山にある伊東静雄詩碑を訪ねた。「菜の花忌」の行事が予定されていたのだが、コロナ禍で取りやめとなった。
この日の午後にJRの新長崎駅を見学がてら長与から一度、長崎に下り、再び市布線を諫早まで上ったのだった。
諫早公園(城山)は閑散としていた。広場は車の駐車場替わり、若い男女二人のストリートミュージシャンが聞く者のないままギターを弾きながら声を振り絞り歌っていた。
毎年上る詩碑への石段が今日は柔らかく感じられた。誰もいない石段、踏み固められていない、私の為だけの石段なのだ。毎回、菜の花忌では参列者で埋まってしまう。
詩碑は静かにどっしりと待ってくれていた。詩碑前は意外に狭い空間だった。行事関係者が供えたのか6束の菜の花が黄色い光を放っていた。そして静寂。……いや、遠くからとぎれがちに「まわる、まわるーよ、せかいはまわる~」と歌声が、流れて来た。
碑文には詩集「夏花」より「そんなに凝視めるな」の一節が刻まれてある。
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手にふるる野花はそれを摘み
花とみづからをささへつつ歩みを運べ
問ひはそのままに答へであり
堪える痛みもすでにひとつの睡眠だ
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心身に何か異常があるような表現。ふっと、長崎新聞文化面の記事を思い出した。伊東の詩「夏の終り」をめぐる対談だったが、詩作について、「彼は疲れていた」との意外な発言が強調され印象深く記憶に残った。彼の「疲れ」は、後の肺結核に現れるのだろうが、詩碑に刻んだ「花とみづからをささえつつ」「堪える痛みも…」の詩語にも彼の「疲れ」が現れているのだろうか、などと思ったのだ。
徳養寺に立つ劇作家、市川森一さんの「夢碑」も参拝した。島原鉄道が中央を横断するという珍しい墓地の上手に市川家の墓所があり、「夢 森に還る 平成23年12月10日」と刻まれた碑がそばに立っている。来年の命日で没後10周年か。日々の煩わしさと早い時の流れに抗しきれないように、心の隅に留めた先生の面影が薄れゆく。
ところで新長崎駅。長崎らしさが見当たらず、特別の駅舎ではなさそうだ。長崎をテーマにした絵画の大作や大きな彫刻・立体作品を設置すれば、迫って大きく見える稲佐山とコラボで長崎をアピールするのではないか。これから新幹線も行き来する。刻々「長崎」の彩を装っていくのだろう。伊東静雄詩碑
市川森一夢碑
長崎駅ホーム
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