椎名誠のフォトドキュメント「風景は記憶の順にできていく」(集英社新書)を読んでいて、学生時代のアルバイトの記憶が蘇った。

 ドキュメントは、椎名がまだ業界紙の駆け出しの物書き時代のこと。熱海で「旅行代理店紹介」本を訪問販売する話。高価な分厚い百科事典まがいの売れそうもない本である。不景気の波が漂う熱海で売れる当てもなく途方に暮れるのだが、同僚と計ってどうにか1冊売れた。

 翻って私の学生時代のアルバイト。確か世界文化社だったか、でかい事典の訪問販売をやってみた。集合場所の地区集会所に集まったのは10人ぐらいだったか。学生よりも社会人が多かった。集会所では30~40歳ぐらいの男性から事典の説明があり、訪問エリアを割り振られ、終了時刻を言い渡された。経費として一人1000円ぐらい持たされたようにも思う。訪問時間は午前か午後か思い出せない。そんなに長い時間ではなかった。

 訪ねても訪ねても、良い反応はなく、私は当然のように一冊も売れず、予約もなし。数軒の訪問先の住所・氏名を記したメモを唯一の〝成果〟として持ち帰っただけだった。責任者の男性は、それでも笑みを浮かべて対応してくれ、ほっとした記憶がある。もしかすると、訪問の目的は販売ではなく、反応を見ることだったか。いくらもらったのか? あの1000円がバイト料だったのかもしれない。

 理髪師コンクールのカットモデルにもなった。大学学生課前の廊下壁に張り出されたアルバイト情報に従って町の理髪店を訪れた。店主らしい男性に椅子に座らされると、若い女性理髪師の卵が店主の指示を仰ぎながら私の頭髪を弄り、いざ鋏を入れ出した。肩まであった長髪がジョリジョリ、バッサリ! ジョリジョリ…。私は一気に動揺し、落ち着かなく、心で〝やめてくれー〟と叫んでいた。恐怖の1時間?が過ぎてみると鏡の中に角刈りの自分が居た。

 私の実家では母親が理髪業をやっていた。元々、小さい頃から親しんだ店の雰囲気。気を許したのが間違いだった。解放されて下宿に帰り着き、案の定、同宿の友人たちに笑われた。それでも翌日、意を決して登校。会う奴、合う子に軽蔑の笑みで迎えられ、教室の隅で身を縮めていた。こんな日が何日か続き、友人らの目に慣れた風貌になり、騒動の波も引いた。

 繁華街の路地を入った辺りの老舗の人気中華料理店でも接客のバイトをした。調理場とテーブルを行き来する料理運びが中心。大学応援団の部員たちがこぞってバイトしていた。気のいい先輩たちで、いろいろ教えてくれて私も慣れていった。

 注文を知らせに調理場を覗いた時の事、汚水を流した状態の床には木製の桟が敷かれていたが、コックの一人が固い麺をボトンと落とした。アッと思う間もなく、コックは麺を拾い上げドンブリに投げ込んだ。私の顔をキッと一瞥、睨み据えたあの顔は今も覚えている。若いコックだった。店主の奥さんは町でも評判の美人だったが、店主自身はギャンブル好きで、ボートで勝つと我々にも小遣いを、分け前のようにくれた。

 バイトを終えて応援団の先輩たちと店を出ると、夜中のアーケード街は相良直美の気だるいバラードと由紀さおりのスキャットで溢れていた。♫いいじゃーないのーしあわせならば、らーらーらららー♬…青春の1ページを飾ってくれたバイト時代だった。