東京在住の親しい美術作家、櫻井共和君が福岡市内で〝里帰り展〟を開いている。

 10代からアクリル絵の具(リキテックス)で具象画を発表してきており、5、6年前からはドローイング手法で明るい抽象画を手掛けている。2メートル正方の板に赤、ピンク、橙、また青、黄、緑色などなど、暖色の線や棒が縦横無尽に蠢く画面。昨年に続くモチーフだが、それに今回は、たっぷりの絵具を塗り付けて生み出したワームならぬ太い楕円状の〝フォーム〟が、場を支配するように遊泳する。この摩訶不思議な絵。具象としてイメージするなら、どこかまだ見ぬ宇宙の果ての銀河の一画、心の中の宇宙……だとしても、あのフォームな何?

 

 彼は画家の両親のもとで、根っからの絵かきとして育てられてきた。生きて成長することと描くことが完璧に一つのことになっている。このことが彼の美術を理解するうえでカギとなる。

 40年近い交流を振り返って、彼が平たんではない美術の道を、あくまでも大らかに生きて来れた背景は、この〝生まれながらの美術家〟であることからだろうと気づく。「生きる」と「描く」が同義語なのだ。

 とはいえ、誰も歳は取る。高齢に差し掛かるにつれ、先を見つめる目に鋭さが宿ってきた。会うたびに、持ち前の男気と朗らかさに加えて厳しさが体全体に滲むようになった。当然だろう。限りある描ける時間を貪り尽くす日々なのだから。それだけ、美術に打ち込んでいるということだ。

 

 私が訪ねた2日目の画廊も、友人や先輩・後輩、苦闘時代を見てきた年配の人々らの来場が続き、彼の講話も画廊であった。講話は約30人の参加で、皆さん、彼のたゆまぬ営為の背景に関心を寄せていた。

 画家として生きること、美術することの意味、何が続けさせているのか、具象から抽象に転じたのはなぜか? 彼の絵の道は謎といえば謎だが、美術家の王道だ、と私は思う。グングンと美神のもとに帰っていく。

 旬をとっくに過ぎ、老いだけが前面に出た我が身を振り返り、羨ましく思った。

 

 3日目、福岡はすごいな、と思わせるイベントが画廊で行われた。

 午後、15人の若い男女が団体で来場。展示作品を一渡り見たあと、作家に解説を求め、彼の話に真剣な表情で聴き入っていた。 

 どういう団体か、画廊主に尋ねると、福岡市内にある県立、市立の3つの美術館の学芸員たちという。圧倒的に女性が多い。何か、イベントの一環らしいが、さすが九州の都・福岡だと感じ入った。

〝書を捨てよ、街へ出よう〟

 解説に立った彼は、視覚化されていないものを描出したこと、ゆえに非模倣であること、さらに喜怒哀楽を表現したなどと自作を解説。輪郭は描かないこと、予想のつかないままに描くなどなど、描法を語った。

 学芸員の「強烈な色使いの意図は?」との質問に彼は「キッチュな色での絵画成立を狙っている」と応じ、「抽象へのきっかけは?」には、「最後の具象画『ブラックチューリップ』を描いていて、チューリップという〝もの〟ではなく、ブラックチューリップの持つ〝意味〟を描いていることに気付いたことから」と明かした。

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 「櫻井共和展」は10月26日まで、福岡市中央区大手門2の9の30、「EUREKA(エウレカ)」で(電話092・406・4555)14、21、22日は休廊。展示数は、200センチ正方の大作1点をはじめ、1メートル正方が8点、S4号が20点、18センチ正方の小品が20点。無料。 

 

 櫻井共和君と学芸員たち