小学2年生の孫が、中国獅子舞を作った。 

 材料は小さめの段ボール箱二つ。上あご用、下あご用二つ重ねてガムテープで合わせ、バスタオルをかぶせればほぼ出来上がりだ。ランタンフェスの中国獅子舞だけでなく、孫は長崎くんちの龍踊や唐津くんちの曳山のファン。自ら「くんち馬鹿」とまで言う(この言葉、誰に教え込まれたか)。

 獅子頭はこれまでに何回か段ボール箱で作っている。その度に居間で家族に舞ってみせる。

 今回は、初めてラッカーで色塗りし、紐の束でたてがみを表現。2時間ぐらいで完成させ、出来栄えに満足の笑顔を見せた。

 この獅子頭は孫のまったくのオリジナルで、以前、「学童」のイベントで手作り獅子を持参して舞ってみせ、やんやの喝さいを浴びた。 

 今回は、夏休みの工作か、と思ったが。孫は「違う」ときっぱり。「こんなの工作じゃない」と。じいのひいき目か、ユニークな工作と思うのだが、自分の好きな「遊び」と心得ているようだ。立派、立派。 

 そこで、思い出した。私の小学校3、4年の頃のこと。夏休みだったか冬休みだったか、宿題の工作。一辺が長くて薄く平たい正方形の空き箱を利用して、当時子供に人気だった「野球盤」を作ったのだ。材料はマッチ棒と輪ゴムだったと記憶している。

 学校に持参すると、みなが興味津々寄ってきた。

 私は自慢げに、輪ゴムのバネを利用したマッチのバットで、紙屑を小さく丸めたボールを弾いてみせた。と、なーんだ、といった空気が広がり、少年の私は焦った。

 あれは工作ではない、遊びだったな、と孫の今回の主張を聞いて今になって恥ずかしく思う。

昔は、宿題と遊びの境界がはっきりしないゆる~い〝自由研究〟だったと60年目の弁解。

 しっかり者の孫の傑作での舞に、家族で喝さいを送ろう。獅子頭が完成