初めて精霊船造りの工程の末端に参加させてもらった。 

自治会の共同船。地区内の初盆の家庭のうち、一家族が御霊をこの船で送るという。

 15日の午前8時、男性約20人が町内の集落センターに参集した。 

現役引退組の60、70代が中心だが、お盆で帰郷した若者たちも来てくれた

 心配された台風の影響も、そぼ降る雨ぐらいで、かえって涼しい。

自治会役員の自宅前に待機させていた船を、皆で集落センターそばの広場まで降ろした。

 船体の長さ約4メートル、幅約1メートル、船高は屋形の屋根まで含めて約2メートル。

この船の枠組みは大工さんの手で予め出来ていたのだ。

 私たちの仕事は「みよし」造りが主。筵で覆われた舳先一帯に菊の造花とヒノキの枝を差し込んでいき、屋形に提灯を提げた。1時間余りで「嬉里谷」と赤地に白抜きで大書した面周辺を飾った。「みよし」の付け根の両側には、お香を焚く祭壇を設け、たっぷり香を挿す砂と、防火用の水をボトルに用意した。

 そして、船腹に寄せる波がしらを描いた幔幕を船体に巻くと、屋根中央の「西方丸」の〝帆〟と併せて、見事な精霊船が誕生した。均整の取れた船体。美しいなあ、と少々見とれてしまった。精霊船は大きさで注目されがちだが、美の観点から評価されてもいいのではないか…。

 作業後の慰労会では、町内の御婦人らが用意した酒肴とおにぎりを味わいながら歓談。懐かしい人、初対面の人、婿入りしてきた若者らもいて、楽しい交流ができた。みよしの「嬉里谷」を大書した書道教室を開く先生とも親しくお話ができた。

 

 その日の午後6時ごろ、予定通り船出を控えて三々五々、近所の人々が精霊船の周りに集まってきた。それぞれ「みよし」の祭壇に焼香。私も参列して手を合わせて、船出を待った。

 遠くのあちこちの町内の船からだろう、爆竹の音が「ざあ…、ざあ…、ざあ…」と届いてくる。まるで早く合流しろと迫っているようだ。

 と、誰かが呼応するように爆竹を挙げた。参列の人たちがオッと声を発した。遺族の人々が腰を落として手を合わせて読経を初めた。意外に長い読経で本格的な法事を思わせた。

 いよいよ船出だ。初盆の家族を中心に自治会役員らが長与湾の流し場に向けて引いて行く。遠雷のように爆竹が響き渡り、しんみりとした空気が漂い始めた。

 参列者たちは見えなくなるまで見送っていた。

 船造りの手伝いは、近所の自治会班長さんから事前に要請があったのだ。貴重な体験ができると、即、応諾したのだった。ありがたいお声掛けで、よい体験でした。

 ところで班長さん、今年も「向こう三軒両隣会」の暑気払い。いつもの居酒屋、よろしくお願いしますよ。