夏休みに入って、少学2年の孫のテレビ独占権がほぼ定着した。
朝、ニュースを見る間もなく、孫がビデオデッキを操作。今朝はアニメ「ドラえもん」である。
のび太らおなじみの友達が恐竜時代に時間旅行。新聞を読みながら聞いていると、乱暴者のジャイアンが泣き声で「かあちゃーん」と。〝ほほう、母ちゃんか〟と廃れたと思っていた言葉に刺激され、テレビ画面に目がいった。
「かあちゃん」。私の子どもの頃、一番口にしていた言葉だろう。懐かしい。
古い「広辞苑」をひも解いて「かあちゃん」を調べてみた。「かあちゃん」は無かったが、「かあさま(母様)」があった。「母を親しみ敬って呼ぶ称」とある。ほかに記載はなし。いたってシンプル。「かあちゃん」は幼時言葉かもしれない。
ついでに「とうさま(父様)」を見てみると、「父を敬っていう語。父上。おとうさま。とうさん」と少しだけ詳しい解説。隣に「とうさん(父様)」の語についても念を入れて?掲載していた。こちらも「父を敬っていう語。とうさま」とあった。
母親を、父親より情報量で少なく差をつけている。
さらに、五十音順の掲載なので当然「かあさん」が「とうさん」より先に掲載されているのだが、
通常、関連掲載の場合は前出分の説明に比べ、後続分の説明は簡略される。だが、この例は逆。男尊女卑?
この「広辞苑」。昭和47年発行の2版6刷り。編集者は長崎の唐寺聖福寺の「ジャガタラお春」の碑の揮ごう者で知られる新村出。だが高齢のため、次男の新村猛が実質的編集者として完成させたようだ。
巻頭にまず父親・出の「自序[第一版]」があり、「--しかし、私に代って戦時中には、統理の傍ら、他方には、新たに、語詞の採訪と採集とに力を尽くしつつ専ら改訂の業に従った私の次男猛は、苦心努力の結果、辞書編集上、望外にもこよなき良い経験と智識とを得たかと信ずる。ーーー老父の能くせざる所を補足し、編集および印刷の進行、人事その他各般の統理に心を尽くしてくれた。現代の国語に対する智識と感覚とについては、当然長所の在ることは認めてよろしくーーー」などと猛に全幅の信頼を置いたうえで、読者には信用を保証している。
続いて猛が「第二版の序」として、「ーー時すでに自ら改版進捗の労を執る気力はなく、ただその完成の一日も早からんことを願い、ひたすら、それを筆者に托するのみであった。--そして八月十七日、九十一歳をもって世を去った。」などと師でもある実父・出の死を読者に伝え、悼んでいる。さらに猛は文章を結ぶにあたり「ただ、憾むらくは、あれほど本書の刊行を待望していた編者はすでに亡く、問うても答(いら)えなき墓前に本書を献ずることになったーー」と無念の思いを再度、改めて綴っている。
出と猛。この父と子は日常生活、研究生活どの場面でも互いに意識し合い、協働の親子だったのだろう。「とうさん」と猛は出を呼んでいたのかどうか。子供時代、「とうちゃん」と呼んでいたかもしれない?(私のように)
そして母は。二人の目に映ずることなく空気のように夫と子に寄り添っていたのだろう。猛から、「母のこと? それは、いわずもがなですよ」と笑われそうだ。