郷土史家、近藤哲夫先生が教えてくれた長崎温泉・喜道庵裏の「落ち武者の碑」を探索した。先生が「見つけきらなかった」と、著書から漏れた〝貴重な〟遺跡。
諫早市多良見町に続く国道207号は拡幅・改修が進み、のり面沿いの畑地が削られてしまった。温泉施設周辺を中心に、残る畑の草を分けて探し歩いた。ミカン園が広がる山側に探索を広げ、塩床地区の共同墓地で墓石を探るが古い墓石はわずか、新しい墓ばかりだった。
結局、民家を3、4軒訪ね歩く。やっと40代女性が応対してくれた。この地に生まれ育ったが、「落ち武者の碑は知らない」と言う。話では、30年前までは共同墓地にも野石の墓石が多くあったらしい。
梅雨のじめじめした酷暑。汗が吹き出て脚がふらつく。探索を諦め、やっと、車を止めている喜道庵の門前に着いた。
送迎マイクロバス駐車場のベンチに座った男性が「暑かったろう、汗がひどい」と声を掛けてくれた。気さくな人だ。緊張感から解放され「ああ、もう汗だくだくです」と応じ、「落ち武者の碑があると聞いて、探し回っている」と事情を話すと、なんと「ああ、ここにある」と言うではないか。「えーっ」と驚き、早速、案内を請うた。灯台下暗しである。
温泉施設を抜けて、先生の言った、まさに「温泉裏の畑地」だった。石灯籠まで設えられ、手厚く保全された高さ約60センチほどの石柱が立っていた。正面に「大久保大神」と刻まれている。側面はもはや判然としない。
碑のすぐ正面には大村湾が広がっている。海に開けた陸の孤島のイメージである。大村湾を望む落人伝説の地
意外にも男性は「今は喜道庵のものだが、もともとここは、うちの土地だった」と言う。
早速、男性に碑の由来について聞いたー。
「長く家族で世話を続けてきた。土地を喜道庵に売却して社員となり、私が担当になって世話している。毎月1日と15日に柴を上げ、線香と水で供養している。
碑のある場所は昔から落人伝説が言い伝えられ、タブの大木が枝を広げていた。ある日、家族が枝を切り落としたところ胃の具合が悪くなり体調を崩した。落人の祟りかと、祖父が鎮めるために碑を建てた。以後、母親が熱心に供養をしていた。タブの木は12、3年前、台風で倒れてしまった」
祖父や両親から聞いた話という。
さらに男性は、尼僧職の姉の話として、落人ではなく〝隠れキリシタン〟の言い伝えとの説も挙げた。旧大村藩の地、信ぴょう性は高そう。「落人伝説に守られた隠れキリシタン」である。
口碑もやはり、石碑のように顕在化して残さないと、結局は消えてしまうだろう。
喜道庵のお湯ファンのみなさん、時代を超えるほどの古い遺跡ではないけれど、後世のために残された「伝承の証の碑」として、一度、お参りをお勧めします。(完)