琴ノ尾岳の山裾の集落。谷の山中にある共同墓地の端っこで「姫塚」は、ひっそりと、というよりも余計者のように放置された状態だった。
近藤先生の「長与ふるさと散歩」(2005年発行)掲載写真は塚としての体裁がまだ残っているが、昨日の探訪で見た姫塚は廃棄され、集められた墓石に埋もれてしまっていた。
言い伝え(先生の著書)によると、姫路の玉照姫という高貴なお方だったらしい。200数十年も前のこと、家来を連れて人を訪ねて来たが、この辺りで病に倒れたという。
とすると、この碑の荒れようは姫の2度目の災難か。
「武者」に替わる「姫」の、これも後世に残された同じ「貴種流離譚」の一つのよう。長与の歴史研究や文化財保護、さらに民間伝承や民俗学に携わるみなさん、この「姫塚」に改めてスポットを当て、検証してはどうでしょう。