長与の郷土史家、近藤哲夫先生の著書を案内に、町内残る落ち武者伝説の遺跡を訪ねた。写真連載で紹介しよう。

 1回目は、「六部様」(写真①②)と「越後様」(写真③④)。

 「六部様」は常林地区の住宅団地の一角に挟まれて、まるで地域の守り神のように建つ。

 「六部様」とは、全国六十六カ所の霊場に1部ずつ納経するために書写された66部の「法華経」のこと。のちに、その経を納め諸国霊場を巡礼する行脚僧のこと。(ウイキペディアより)

ということは、出家した武者ということか?

 昭和初期の建立。五輪塔の石碑の表に大きく「六部様」と刻まれ、向かって左側面に「昭和5年 2月26日」と認めてある。その他の記録は苔むして判読が困難。近藤先生の「長与ぶらり散歩」によると、日向国の落武者の名が刻まれているという。

 なぜ長与に日向国の武者の残党なのか? 「越後様」と同様に疑問を残す。 

 その「越後様」の森が、この碑から北東30メートルあたり見える。地域の広い共同墓地とミカン園、野菜や花畑を挟んだ嬉里谷地区の端っこ。それこそ呼べば応える指呼の間の距離だ。

 「六部様」から歩いて5分余り。「越後様」の森の登り口に到着。「六部様」のある常林地区を眺める(写真⑤)。なるほど近い。畑のあぜ道から山道に入り「越後様」へ。

 扁額が掛かる石の鳥居はまだ新しい。その真ん前の民家は何やらゆかりの方の趣があり、訪ねたところ高齢のご婦人が応対された。庭先を指さして「ここで毎年秋に奉納相撲をしていた」と。「越後様」の名称の由来は分からないと話された。

 周辺の家を2、3軒訪ねて名称の由来を聞いたが、いずれも高齢の婦人が応対。他所から嫁がれた方々で、詳しい歴史はいずれも不明のようだった。 ①②「六部様」③④「越後様」

⑤越後様の森の入り口から「六部様」辺り(赤い屋根付近か)を望む