成夫は日課の朝の散歩から帰り、そのまま事務所に向かった。
湯を沸かしコーヒーを淹れてテレビをつけると、若いアナウンサーが「最新のニュースが入ってきました」と高い声で告げた。
ーー今朝、午前6時ごろ、福井県北部の観光地、東尋坊の崖下の岩場で男性の水死体が見つかり、消防と警察が引き揚げたところ、加茂西陣工房の工房主で西陣織図案家の高杉勇さんであることが分かりました。きょう未明になんらかの原因で海中に落下したと見られています。警察では事件・事故両面でいきさつを調べていますが、自殺の可能性が高いとみられます。東尋坊は柱状節理の海蝕岩の崖で知られ高さ25メートルあり国定公園に指定されーーー
成夫の耳からアナウンサーの声が次第に遠のいていった。
〝勇さん……〟我に返った成夫は、すぐに栄に電話をした。話し中で繋がらなかった。ひとまず成夫は電話をあきらめた。
テレビがニュースを続ける。ーー青い海原に白波が立つ東尋坊の崖下には、一枚の見事な京友禅の袋帯が遺体に寄り添うように漂っていましたーー
成夫はテレビが映し出す映像を眼を剥いて見入った。
確かに、袋帯が白波に押し返され青い海に漂っている。警察の警備船から竿を出して回収しようとするが、激しい波が邪魔している。袋織した二重の帯は海水を浸み込ませ、その重力2、3倍になっているだろう。
袋帯は、工房で見た幟の図案と同じだった。
アナウンサーは、体に巻いて身を投げたのでは…と伝えていた。
激しく打ち寄せる白波、生き物のように繰り返し漂う友禅模様。成夫は映像に、勇の真情を突き付けられた思いがした。
動機は他にないだろう、と成夫は、栄の急な電話を思った。
つい最近のことだ。栄が先も短いからと、勇に出生の真実を明かしたと、電話口で成夫にも、あいまいな物言いで告げた。両親とも他人という、愕然とする話だった。
成夫の父も栄も若かったころの出来事だ。
地元の炭田王に車両係の一人として雇われていた若い父は、旦那様の遊びの末の落とし子を押し付けられた。栄との子として面倒見てくれという。炭田王の後始末である。二人は不承不承引き受けたのだった。
未希は、いつもの朝を迎えた。京は昨晩から佳境に入っていた。コーヒーを淹れて、アメショーのルイをひざに抱き、茶々をいれる芸人が伝えるテレビニュースを眺めていた。
2枚のトーストをそれぞれの皿に移し、京の好きなプチトマトのサラダを盛った。
芸能人のスキャンダルを暴くニュースが突然途切れ、緊張した面持ちのアナウンサーが映し出されてしゃべりだした。画面が事件現場の映像に変わった。福井県の東尋坊だ。
未希は、青い海と激しい白波の画面に、原色の流線模様の袋帯が生き物のように漂う画面に目をくぎ付けにされた。投身自殺らしい。「高杉勇」の名に聞き覚えがあった。すぐに山口の成夫さんの兄だと気付いた。
「京さん、京」と未希は声を張り上げた。制作に没頭しているな、と思った。
彼のコーヒーを持って階段を上った。プンと絵具の匂いがする。
「京、友禅の勇さんに何かあったようよ。テレビが自殺かもって」
………
「京、京ってば!」
フローリングの床に直に敷いたカンバスロールに腹ばいになって筆を執る京……、と見えていた未希が異常に気付くのは早かった。「キョーー!」
カンバスのど真ん中にまるで描かれたように、京の体がうつ伏せに倒れていた。横を向いた顔の口から薄く血が流れて点描のようにカンバスに垂れていた。顔には微笑みが浮んでいた。
救急車を呼んだ未希は「京、いつものコーヒーだよ」と改めて京の顔をひざに抱き、頬を寄せた。さすりながら未希は、京が少年のころから父親と同じように心臓が弱かった事を思った。
「苦しかったねえ」と、膝枕の顔に涙を落した。
「やっと、お父さんと一緒になったね。カンバスの中にお父さんが戻って来たのでしょ」
救急車の警笛が消え、車両が止まった。代わって、そばを走るJRの快速がキーンという音と共に京が眠るアトリエの下を走り抜けていった。そして静寂が訪れた。(完)