「拝啓 成夫君 便りありがとう。
京都の個展では遠路はるばる来場いただき、恐縮至極です。
さっそく、君らしい感想をいただき画家冥利につきます。京都にお兄様がおられたんですね。まったく知りませんでした。お兄さまの感想『美はメッセージだから具象に帰る』は確信はありませんが真実でしょう。その意味で抽象画を描く今、私は美神にメッセージを送っているのではと思います。純粋な美をとことん追求しているつもりです。猫と女は、お察しの通り、私の〝マグダラのマリア〟でした。神へのメッセージというより、マリアすなわち私の彼女へのオマージュ、メッセージといっていいでしょう。
また新作完成時に連絡します。お会いするのが楽しみです。では」
成夫は事務所のソファーに腰かけて何度も読み返していた。
懺悔、祈り、願い、希望、美…。これらは果たしてAIでどれだけ対応できるのか。過ちの多い人間だからこその癒しの世界・芸術ではないのか。
「おーい、元。ちょっと、相談がある」と新車の並ぶショールームに声を掛けた。
長男の元は大学で商学を修めたはずだ。文化系統はからっきしダメだが、店舗設計は成夫の影響で関心事ではあるようだ。
しゃれたジャケットにスカーフ姿の元が修理工場の事務所に現れた。「まあ、座れ」と成夫は向かいのソファーに目をやった。
おもむろに京の作品カタログをテーブルに広げた。「見てくれんか」「また、おやじさん何を企む」
元はB5判の画集を両手に抱え、表紙絵をしばし見つめていた。
「うーん、同じ趣だなあ。大きいのは迫力ある」と指をなめてページをめくっていく。
「アクリル絵の具ですね。日持ちはするでしょうが、色褪せたりはどうです?」
少々的外れな問い掛けを成夫にした。
「おまえは、絵を見て長持ちするかどうかを考えるのか。ばかもんが」
成夫は、穏やかだが失望を露わにして、言葉を投げた。
「いやあ、買う立場に立てば当然でしょう。おやじこそ、無駄遣いは禁物だぜ」
「何を生意気な」。成夫は苦笑いを見せた。
ふんふんと鼻を鳴らしながら、しばらく無言でカタログを眺めていた元だったが、
「おやじさん、この事務所なら猫と女。寂しさを慰めてくれるでしょう。ショールームは抽象画がいいと思うな。爽快な気分にさせてくれる」
少し間をおいて「そうか…」と成夫は元の難しい顔を見て応じた。
無駄遣いは禁物とは言ったが、投資を念頭に置いていた成夫の魂胆を「あいつは見抜いていたのか?」とまた苦笑いが出た。絵は鑑賞者次第かーメッセージを受信できてこそ真の鑑賞者というべきか。成夫は、京の絵画の秘密の園に分け入る瞬間を感じた。