また、いたたまらないほどの重大な交通事故が東京・池袋で起こった。

87歳の高齢男性ドライバーが街中を暴走、多くの死傷者を出してしまった。

アクセルとブレーキの踏み間違いのようだ。

 この無謀なドライバーの犠牲になった若い母親と幼い娘の遺族である父親が、涙をこらえて記者会見した。力を振り絞り、高齢ドライバーの免許返上の必要を訴えた。

 87歳にもなって、よくも車のハンドルを握るものだ。それに杖をついて歩いているという。これはすでに〝未必の故意〟による殺人ではないのか。

 脚の調子が悪い、車庫入れに不自由している。加齢による運転への支障は家人も含めて分かっていたようだ。それでもハンドルを握り繁華街の公道を走った。

 当然、人を轢く危険は予測できる。「その時はその時さ」ということか。

〝未必の故意〟による殺人と私は判決を下す。

しかし昨日、テレビ報道で言っていたが、今の法律では無罪になる可能性もあるらしい。なんということか…。

 

 昨年秋、私は免許の更新に警察署に訪れた。

顔写真の撮影所は署の敷地内にある小さな建屋だった。

警察官がひとり、カメラを調整していた。

向かい側に70代とおぼしき男性がソファーに座っていた。私は入り口そばの椅子に座った。

「早よしてよ、いつまで待たせるか」とその老人はぶつぶつ言った。

警察官はカメラ設定に手間取っていたようだ。

「はいはい、もうすぐです」と言い、「どうぞ」と老人を促した。

私は立ち上がった老人を見たその時、えっ!と目を見張った。

歩き出したはずの老人は膝が曲がらず、チョコチョコチョコチョコと前に進み出た。

パーキンソン病の症状のような歩き方。私は、えーっと驚き、目が老人に釘付けになった。

警察官はそんな老人の様子を気にする風もなく、前に座らせてシャッターを押した。

老人は、満足げにまた同じ歩行で建屋を出て行った。

その一挙手一投足を私は、ただ唖然として眺めていた。

警察官に事情を聴こうとも思ったが、彼は当人の姿をすでに見ており、知った上でのことらしい、聞くのをやめた。法律違反ではないのだろう。

 私は心の中で、どうか公道を走らないでほしい。田畑で耕運機を操るための免許であってほしいと願ったのだった。

 

 私は古希を迎えた。これまで何度もドッキリした体験をしている。

 家族を乗せてレストランに行き、店前の車置きに入れようとした時の体験。

車道から狭い歩道を横切って入り、今度は車道側に車前部を向ける動作を始めた。

首をひねり、後ろを見ながら後進、前を見ながら前進を繰り返しているうち、狭い歩道を母親と幼い娘親子が歩いてくる。歩道には車の後部が残っている。バックミラーを見るとあきらかに通行の妨げになり、二人を車道に押し出し歩かせている。

その一瞬、今のギヤが前進か後進か判断不能になった(表示を見れば分かるのだが…)。そして踏んでいる板がブレーキなのかアクセルなのか!不明になった。

 私はただただ、親子をやりすごすため、ハンドブレーキを強く引くしかなかった。板を踏む足は動かすことが出来ず、アクセル、ブレーキどちらであっても強く踏み続け、今の態勢を維持しようとした――。

 私は今、車に頼らず自転車か徒歩で行き来する日常である。運転が怖くなった。このまま、乗る機会をつくらず、免許返上の機会を見計らいたい。