高校の同窓会に出席した。「古希記念」の冠が出不精の私の背中を強く押した。

会場は前回もそうだったが、田舎町の唯一と言っていいホテルだった。

 同窓会は懐かしい顔、覚えのない顔合わせて60人近くがそろった。

早速、旧交を温め合う小さなグループが会場ホールのあちこちにでき、そのまま開会となった。

 むっつり組も目立ったが、酒を酌み交わすうちに一気に打ち解けて盛り上がった。私も記憶をたどりながら座の一人になり、ビールを手に旧友と言葉を交わした。

新聞・文芸部の部活で何かと意見が対立した女子もいい年になっていた。が、気の強い面影は残していた。

 「古希」相応に、体調の話にも花が咲いた。インシュリンを手にした旧友も数人いたのだ。

愕然としたのは物故者名の欄。7人もの名が並んでいた。開会前に全員で黙とう。先立った友を悼んだ。死因は圧倒的に癌が多かった。

前回の同窓会で、一人、座をにぎわしていた元ラグビー部の強者も亡くなっていた。

 わが校では、体育の必修にラグビーがあった。

雪の日、数十センチも積もった雪のグラウンドでゴールの練習をした。私はバックスだった。やっと相手ゴールラインまでたどり着いたかと思うと、すでに他のメンバーは逆向きを走っている。長靴が重くてきついのなんのって。

このラグビー実習では、亡くなったあの強者が先生の代役を喜々として務めていたのだ。

 ともあれ体調や物故者の話題は、古希の同窓会の特徴なのかもしれない。

 

 母校の校舎は、町に近い小山を削った高台に立っていた。

 校門に続く上り坂の鈴掛並木が思い出深い。

 かなりの距離の緩やかな鈴掛の路を上り詰めると、眼前に運動場が広がるのだ。

その時の鮮やかな光景と、爽快な気分は今も心の中に色濃くよみがえる。

生徒はこの広い運動場の端っこを横切って校舎にたどり着くことになる。

 この運動場は私に、一人の女子生徒にまつわる甘酸っぱい思い出を作ってくれた。

 

 登下校時、いつも一人、背筋を伸ばし、カバンを提げて運動場を横切る女子がいた。

雨の日も、強い日差しの日も、砂ぼこりの日も…。

伏し目がちの優しい顔立ち。寡黙で色白の清楚な子だった。

 私は運動場から数メートル高い檀上に立つ校舎の窓から彼女を眺めていたのだ。

同じクラスなのだが、教室では知らんぷりをしていた。

そんな私の所業も気持ちも、彼女は気づいていないようだった。

 

 母校は10数年前だったか、同じ県立高と合併して引っ越した。

地元に住む妹によると、長く空き校舎は利用の道が決まらないまま、幽霊屋敷のようだったが、近頃、やっと地元消防本部のレスキュー隊の基地の構想が動き出したらしい。

 私にとって母校の運動場は、ラグビーゴールの立つ青春の舞台であり、あこがれの女子の面影を残す甘酸っぱい恋の舞台だった。

 いずれ、砂ぼこりをまき挙げるドクターヘリに〝主人公〟を明け渡すことになるのか。私の青春のシンボル・鈴掛の道はどうなるのだろう。