友人のベテラン画家が泣いた。私の前で嗚咽し、腕で涙をぬぐった。
交流40年になる画家の初めて見せた涙。男の涙を見たのはいつ以来か。
二度と見られないだろう、神聖な涙に映った。
逆境を生き抜いてきた画家である。強い男と思っていた。強い男だから流した涙だったか。
もう泣いていい歳なのだろう。
涙は3度流した。重ねた年月ほどの涙が堰を切ったのだ。
一つ目の涙。
彼には、早すぎる死を迎えた友人画家がいた。仲間内では一番に売れっ子になった。
多忙となり、次第に疎遠になった。描きたい絵を描く余裕も無くなったのだろう。
「おまえと一緒に描いていたころが一番楽しかった」と死の床で最期の言葉を残して逝った。
あまりにも悲しく悔しい遺言ではないか。この言葉を口にして泣いたのだ。
二つ目の涙。
「妻が…」と言って涙を流した。
他人には推し量れない多くの苦難を妻と二人で乗り越えてきた。
伴侶の支えがあっての画業だった。
他人の目にどう映ろうが、自分には絵しかない。
美術を貫くほかに生きる道はない。別の人生に舵を切る術はないままに生きてきた。
だれが何と言おうと…、強がって生きてきた。
まさに人生の伴侶、同伴者の妻あっての画業なのだ。
「画材の金だけは自分でどうにか。でも生活は…」と涙をぬぐったのだ。
そして三つ目の涙。
彼は画家の両親のもとで、幼い頃から画家になるものとして育てられた。
「おまえが描くものはみな絵だ」と言い含められ、落書きの紙切れさえも絵画として大事に保管された。いわば英才教育。涙は、「プライドが…」と口から漏らしながら流れた。
画家の一本道に立たされ、描かされ、成人して後も普通の仕事はしないままにきた。
しかし一つの道を貫くことは容易ではない。辛い体験を正面から受けながら今日まで描いてきたのだ。それでも〝大成〟した姿はまだ先にある。
さまざまな出会い、体験があったのだろう。希望が見えるからこその涙でもあった。
友人画家の涙。
彼の一途な画業を慕う若い画家を前にして流した涙。
自分の若き日を彼に重ねたのだろうか。優しい涙だった。熱い涙だった。
還暦は悠に過ぎている。涙もろくなった? とは思えない。彼は闘い途上にある。
やはり男の涙、強さと優しさの涙だった。
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現代美術作家KYOWA(櫻井共和)の新作展「とても私的なこと・とても普遍的なこと」は4月27日まで、長崎市常磐町1丁目のギャラリー・EM(エム)で。