詩集「わがひとに与ふる哀歌」で知られる諫早出身の詩人・伊東静雄をしのぶ「菜の花忌」が今年も諫早公園・伊東静雄詩碑前であった。第55回の節目という。
諌早はかつて私の兄の勤務地だったことから若い時分から馴染みの土地。自然と歴史と暮らしとが混然一体となった風土に魅了され、学生時代、毎年夏休みには遊びに来ていた。
この日、私は文芸コンクール受賞詩の朗読や静雄作品の解釈と鑑賞など、滞りなく進む式の様子を石段下の広場から眺めていた。年々増える参列者は石段も埋め尽くすほど。詩碑の立つ式場まで到底たどり着けない。
石段下の広場には桜と椎(スダジイ)の大木がいくつも根を張り、頭上を桜花と濃緑の葉で覆っていた。時折吹き付ける初春の風が諫早駅から歩いた体を冷やしてくれる。春風はやけに強かった。駅から公園までの道々、ドングリの実が散らばっていたのだ。
春嵐 急ぐ足元 ドングリ散らし
「菜の花忌」は、私のような俗物をも一瞬だけロマンチストにしてくれる。
諌早に向かうJRの車窓からの眺めも一興だった。田んぼには意外にレンゲソウが広がっていた。そして周囲の畦には満開の菜の花が。こんな詩らしきものが出来た。
春は湧き上がり生まれ出る
菜の花の黄色 レンゲソウの紅
ひと色だけでは生まれない。
ふた色寄り添い春となる。
私の希望、私の母
心騒ぐ何かを求めて野に出よう。
歩いて歩いて 探し歩いて心の中に見出すもの。
だから春の心は誰の心も温かい。
静雄の詩風に身を任せた後、私は市内の徳養寺に脚本家・市川森一さんの墓所を訪ねた。
墓域内を島原鉄道が横切る変わり種寺院。
市川さんの墓碑には「夢 平成23年 12月10日 森に還る」と記されている。
手を合わせた途端、背にした踏切の警笛がカンカンと鳴りだした。続いて隣の踏切が輪唱のように続いた。お墓で列車。生者と死者とのあわい…。私はふと、宮沢賢治の世界を思った。
この日は第29回伊東静雄賞の贈呈式と記念講演もあった。
静雄賞受賞作「母のパズル」の詩人による朗読は感動的だった。
詩人・花潜幸さんは私と同じ古希を迎えた男性。同時代を生きた私にも追体験できた。
作品は幼くして死別した母への思慕、この年になって沸き起こった母を請う詩だ。
初連の詩語「胸に赤い花束」が心を撃つ。記憶の母の〝花束〟は実は胸の手術をした包帯の血。
幼少ゆえに記憶はほとんど朧。しかし、さまざまな断片は濃密に心の内底に沈殿されている。記憶というより、もはや幻想か。頼りない記憶を触発する遺品、親族の母の想い出…。だから詩人の記憶は〝記憶の記憶〟だ。
表現行為とは記憶をなぞる営み。記憶の断片を詩人の感性で構成し作品へと昇華する仕事。記憶の残滓に命を与える営みだろう。
この日の記念講演は中原中也記念館長の中原豊さんの講話だった。
同世代の静雄と中也の交流ぶりを紹介。真逆な性格の二人が与え合った影響の跡を解明する話だったーと理解したのだが、私には少々難解で消化不良だった。…残念。
菜の花忌おなじみの男性司会者は今年も名調子だった。そして新しい女性がマイクを握っていた贈呈式。引退された美声のベテラン司会者さん、お疲れさまでした。