徒歩で自宅のある里山を下って10数分の旧道沿いに、インフルエンザと腹痛でお世話になった内科医院がある。先生は仕事がらか穏やかな人柄で患者にソフトタッチだが、問診はテキパキといった感じ。私は好印象を持った。お世話になっているので当然だろうが、実は、早くから先生の存在は知ってはいたのだ。

 退職するまで通勤で、片道30分かけてJR駅まで歩いていた私だが、途中、必ず先生に逢っていた。というのも、確か午前8時10分だった。かつては多くの入院患者を治療していた名残の3階建て医院。狭い旧道を挟んで向かい側の自宅から先生は毎日〝出勤〟されていた。その2メートルほどの道幅を横切る先生の一瞬の出勤時、私と遭遇していたのだ。

当初は互いに無言だったが、ある日を境に、私から挨拶をする日常になった。

 実は、先生は民話の世界に登場するお侍さんの子孫にあたる人だった。

数年前に新版が出た未来社の日本の民話シリーズ「長崎の民話」はご存じだろう。

仕事で読む機会があり、掲載の「勘作ものがたり」に目が留まった。

 「長沢勘作さんは、文政のころ大村の城下から十二キロほどはなれた、三浦の日泊に住んでいた侍です。いまでもその住んでいたところは、『勘作屋敷』といって残っています」で始まり、「生まれつき頓智のある人で、目から鼻にぬけるような方であったうえ、人情にもあつかったので…」などと主人公を紹介、さらに「西彼杵郡長与村の長沢医院の長沢透さん(医学博士)は、その子孫にあたられるかたで……」などと長めの前置きがある。

肝心のお話は、実際に民話集を手にとってもらいましょう。長与町図書館にもあった。

 私は早速お会いして、民話に登場するご先祖についてお聞きした。

先生は「いやいや、ゆかりのものは何もありません」とおっしゃりながら、親戚筋にあたる郷土史家を紹介された。私の朝の挨拶は、翌日から励行となったのだった。

 そして民話が身近に生きている、この地に深い親近感を持った。

昔を背負ったお年寄りたちが、あたかも民話の登場人物のように映り始めた。

 もう20年も前になろうか。この町の主婦たちが創作民話の運動を起こした。

そして、まとめて冊子にし、かなりの冊数になった経緯がある。

 この町には民話のDNAが根付いているのだろうか。語り聞かせの風土が息づいているのだろうか。自慢話でもいい。お年寄りから孫や子にたくさんのお話を語り聞かせてやりたい。

 昔は衣食住は貧しかったが、心の温かさ、優しさは今より数倍、豊かだったのではないか。

 「長与ふるさと語り聞かせ」のようなCDがあればなあ、と勝手な希望を抱いている。