温州ミカンの産地に住んでいる。
自宅周囲は、宅地化も進んではいるが広くミカン農園が穏やかな景観を見せてくれる。
秋にもなると、高さ2メートル前後、幹回り30センチぐらいの成木の枝にミカンが実る。
道路の両脇に鮮やかなオレンジ色の実をたわわに付けた枝が垂れるほどだ。
そのミカンの幼木は50センチ前後。広い農園に等間隔でズラリと植えられている。
幼木には、細い竹が根元で交差させるようにひもで結ばれ、支えとしている。
斜めに倒れ込まないようにするためのようだ。
1メートルぐらいの木にも、それなりの太さの竹の棒を幹に交差させて倒木を防いでいる。
この農園を眺めていて私はふと思った。
ミカンの木の根元に、斜めに結ばれているこの竹の役割は何?
決して〝しつけ〟ではなくて、私は〝支え〟なのだと気づいた。
幼木が無事に成木となるように支えるための頼りになる竹筒なのだ。
人間も同じではないか。園児や小学低学年生たちに必要なのは〝しつけ〟よりも〝支え〟。
個性豊かに成長を始めるため、正常な体を維持する。その〝支え〟である。
しつけはその後のこと。家庭教育の一環だろう。
いろいろ考えさせてくれるミカン農園である。
ミカンの実りを願い、世話する農家の方の姿を目にする度に、そのご苦労を思うのである。