児童相談所とはそもそも何だ? 

乳児遺棄、育児放棄、子供虐待など大人による生命の危険から子供を守る施設。

子どもの安全、生きる権利、学ぶ権利を保障するための公的な部署、との認識。

私の理解は、児相の仕事の一端、「一時保護所」についてだけの認識だった。

だからか、〝救急的な施設〟とのイメージを強く持っていた。

 慎泰俊著「ルポ 児童相談所 一時保護所から考える児童相談所」(ちくま新書)は分かりやすい入門書だった。といって、みな理解できたわけではない。

読後、印象深い項目は、やはり地域により施設の性格が全く違うということ。運営者次第で入所の子供たちの立ち直りが違うということ。

 携わる職員は児童福祉司よりも元教員が多いらしく、学校または少年院的な運営が目立つという。特に体育の先生が多く、救いのために入所させた子供を威圧的に監視する運営が大方のようだ。家族に痛めつけられ、入所後、解放感に浸れると思いきや、まるで少年院のような所とは…。

 職員たちは本来、入所した子供について状況を共有したうえで、なるべく早い退所の時期、行先は養護施設か里親かなど論議、その計画に従い子供の面倒をみるのが本筋らしい。

 ところが、本人には何も知らせず、突然、集団生活の中に置かれ、運営の都合で結局長々と入所生活を迫られるケースが多いようだ。子ども本人の心的ストレスは計り知れない。

 入所の子供の未来の平穏な暮らしを保障するためであれば、希望を子どもに言い聞かせて我慢をさせるのに、私はやぶさかではないと思う。

もちろん、児童福祉司と子供との話し合いが前提である。子供と何の話もせず、突然、「どこどこに行きなさい」などと追い出すような状態に決してさらしてはいけない。

などと、一冊の啓発本をサラ~と読んだだけであれこれ書き連ねてきたが、「何を生意気な」と専門の方々に叱られそうだ。

 本書は、さまざまな一時保護所の運営をルポ。各所の問題点を洗い出し、児相の在り方に問題提起している。

 私は、どんな保護所であっても、どんなに怖い体育の先生がいても、どれだけ窮屈で、用紙一枚管理されていても、とにかく虐待にさらされている子は死の危険を避けるため、入所させなければいけないと強く思う。

 職員たちは、とても多忙のように記録されている。でも、一緒に遊んでいた友達ともあいさつできず、突然、他人の集団の中に置かれ、明日どうなるか分からないといった入所児童の計り知れない不安、動揺、ストレスを想像すると、少々の残業は痛くもないはず。

ルポにも書かれているが、職員は職場を離れれば個人生活がある。しかし、子どもたちは、全く個人生活はなく、管理下の生活なのだ。

 入所させたら、すぐに退所までの計画(養護施設か里親家庭か)をみんなで作成、退所の日を楽しみに毎日の計画を子どもと一緒に練って、希望の日のために規律ある入所生活を送る。こんな、あたりまえの一時保護所の運営を取り戻してほしいと切に願う。