今朝、小さな庭のツゲの枝に蜂の巣を見つけた。木は2メートルぐらいのツゲの木で幹の太さ径5~6センチ。枝が繁茂して塀から路地に張り出すほど。蜂の巣はその中腹の幹に近い枝に作っていた。
朝なので蜂はまだ静かに巣に群れて眠っているようだ。
目の悪い私は巣には気づいたが蜂の存在がはっきりしない。グッと顔を近づけて、ゾッとした。びっしりと蜂が群れているではないか。家族に伝えて注意をうながし、即、便利屋さんに処置を依頼した。
「朝だから、まだ活動していない。今から活発に飛び回ります。処理は活動をやめる夕方になります」と。早く来てほしいが、仕方ない。学童に出かける孫にも見せて、夕方の退治作業を待つことにした。
それにしても、私のこの動揺ぶり。若い時分は、このぐらいの大きさのハチの巣は棒を持って無謀に退治していたものだ。巣をもぎとってガキ友達に自慢していた。もちろん刺されたこともあるが…。田舎育ちの私にとって、当時、蜂は身近な存在で、農家の倉庫や屋敷の軒下にでかいハチの巣がよくあったものだ。
どうして、蜂にこんなに臆病になったのだろう。考えるに、遭遇が稀になり、挙動不明の毒虫として、まったく異質の存在になったからに思える。
人との関係もそのようだ。ご無沙汰、あるいは付き合いの稀な関係は、知らず知らず、互いに警戒心を増幅させる。
古里から母校の同窓会の誘いがきた。もう、友人関係は溶けてしまったようだ。以前出席した折に抱いた感想は、地元の者だけの盛り上がりで、遠路の同窓は身の置き所がないーということ。
蜂たちよ、遊び友達だったあの希望に輝いた幼時ははるか遠くになった。さびしいが、もう訪ねて来ないでくれ。