70年代の政治の季節に、立て続けに作品を発表。燃え尽きた若い作家がいた。

 京大、法政大で教鞭をとり、学生たちと真正面に向き合いながら、観念を駆使して心身を消耗させて逝った高橋和巳。彼の名作「邪宗門」や「悲の器」「わが解体」「わが心は石にあらず」を読み、自己省察の深さと時代把握の的確さに驚く。主人公はいずれも知識人。知識人の在り方を問い続けた作家である。

 きわめて知的な文章だ。その文中には詩を孕んでおり、読み応えのある観念の小説といえる。だが、それだけではない。「邪宗門」では大本教事件、「わが解体」では大学紛争、「わが心ー」は労働運動といったように時代を描いてもいるのだ。難しい文章だが、読みやすい物語である。

 一方、気付いたことがある。彼の女性観である。

 「わが心ー」では女性活動家、「悲の器」では家政婦。男の気まぐれな性の対象、男の仕事の邪魔ものでもあるのだ。その女性自身の描き方も、肉感的で解剖的? 「年相応の脂肪の匂い」「熱を帯びた肉体が放つ匂い」などといったような肉体を切開した文章が並ぶ。それは観念を切開した文章と同様であり、彼の作品の特徴であるのだろう。

 高橋和巳の妻も知られた女流作家だった。

「高橋和巳とフェミニズム」。このテーマで、作品を分析するのも面白そうだ。

なぜか、今の時代、高橋和巳が気になる。