5歳の女の子が両親による日常の激しい虐待の末に亡くなった。
彼女は一生懸命に覚えた文字で親に許しを乞うていた。
「いい子になりますから、ゆるしてください」
テレビで何度も放映された。かわいい女の子の映像に添えて。
この結愛ちゃんの言葉は、そもそも言葉とは何か? についてヒントを与えてくれる。
そして詩とは何かについても。
あらん限り幼い命を込めてしたためている。命の言葉。言葉が生きている。
「叫び」などという大げさな形容ではなく、静かに読み、聞いても心を打ってやまないのだ。
このごろの若者の言葉は私には使いようもないが、つぶさに聞き、読むと同じ「命の言葉」があるのかもしれない。
いや、結愛ちゃのあの赦しを請う叫びにかなう若者言葉は見当たらないだろう。
そのうえ、この言葉は、結愛ちゃんという一人の幼い女の子の叫びから、同じ世代の子供たちの叫びにも思えるからすごい。主観の叫びが客観的な存在としての詩となって迫ってくる。
詩とは、言葉とは、を投げかけた結愛ちゃんの言葉。
結愛ちゃんはこの叫びの詩で、私の中に生き続ける。