大通りを住宅地に入ってすぐのところに、私の行きつけのコンビニがある。

この日も昼前、事務所に出かける自転車をコンビニに向けて走らせた。と、ど太い声が響いてきた。どこかの住宅からだ。何を言っているのかは不明。子供のものではない叫び声、夫婦喧嘩か親子げんか。チラリと辺りを見回しながらコンビニの駐車場に入ったところで、なんと大きな怒声の主が目の前にいるではないか。

 男は、私がいつも自転車を立て掛ける駐車場沿いの通路の手すりそばにいたのだ。彼は「何しょっか!自転車置くなー」と鍛え上げたような大声で1~2メートル離れた場所で叫んだ。

 スーッと通路に近づいた自転車の私、叫ぶ男はもう目の前。自転車を止めようとしていたのだが、そのままの勢いで一気に走って現場を逃れようとして焦ったために、私は自転車もろとも倒れかかった。その無様な格好のまま自転車をホッホッホッと押して走って逃げたのだった。

 男は丸刈り、黒いサングラス、黒のポロシャツに黒のスラックス。全身黒ずくめで、一見してその筋の人とわかる姿だった。なぜ機嫌が悪いのかわからない。

 駐車場には4,5台の車が止まっていたから客がいたはずだ。何か騒動になっておらねばよいが。3,4歳の女の子連れの幼子を抱いた若い母親が店に向かっていた。大丈夫だろうか。通勤道に交番があるが、通報した方がいいだろうかー、などとあれこれ考えながら自転車を走らせた。

 結局、交番には寄らなかった。それでよかった。店の者が対処しているはずなのだ。小心者の私の考えは、事態を大げさにする余計なお世話だろう。

 よくよく考えれば、男の「自転車を置くな」の怒声は正論である。自転車置き場は別にあるはずだ。それに、男は自らその筋の者だと姿かたちで表明している。違う世界の方なのだ。君子危うきに近寄らずである。余計なことをせずにその場を立ち去ればよいのだ。

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 怖いのは、凶暴性をはらみながら普通の顔かたちをした人物だ。そんな男たちが私たちの周囲に確かに潜んでいるようだ。決壊レベルの低いキレやすい人。このごろの残虐な殺人事件の容疑者たちは、このような人物のように見える。

 私たちは日常生活で、マナーやモラルについて、ちょっとしたアドバイスや意見をすることがある。子どものころは先生だけでなく、近所のおじさん、おばさんからよく叱られたものだ。それが今の世の中、命がけなのである。

 もはや目を合わせるのも怖い。人(の目)を見ることが怖い。見るから見返しされるのか。見られるから見返しているのか。危険だから相手を見る。見るから危険になる。公衆のこの一瞬のやりとりが、まさに命がけの野蛮社会である。